My Favorite KAMENOSHIN 〜 大葉亀之進 工人作より〜

大葉亀之進

戦国時代は国境警備の要衝だった七ヶ宿町稲子。
現在、集落の人口は3世帯4人、冬期は道路の除雪が行なわれず町場に移住、地デジ化以降は宮城のテレビ放送が視聴できず福島の放送を視聴しているという(→2016.6.30 河北新報記事より→2016.11.17 朝日新聞記事も参照)屈指の秘境です。

その稲子の地に20世紀の初めから終わりまで生活を送っていたのが 大葉亀之進 工人(1904-1999)です。
大正初期に県の地域産業振興補助制度で開催された木地講習会に10代なかばで加わり、佐藤松之進工人(1875-1942)の指導を受けて技術を習得しました。途中、木地製作を幾度か中断するも農林業の傍ら、足踏みろくろ(1975年頃からは電気式)を使ってこけしを作り続けました。

 

さて、私が亀之進工人の作品を初めて見たのはネットオークションの商品検索中でした。
芯は強そうだがどこか薄幸そうな面持ちをしたこけしの姿がどこか気になって、手元に置き始めたのです。

ここで機会あるごとに入手した作品たちに集まってもらいました。
亀之進工人は描彩の変化が著しい工人として知られていますが、大きく分けて数回のモデルチェンジがあると言われています。

  1. 製作初期(1919年〜1920年頃・未発見)
  2. 戦前復活期(1941年頃・約100本製作)
  3. 戦後再開期(1958年頃〜)
  4. 1963年前後〜
  5. 1973年前後〜

この記事では「4.→5.」に至る65歳〜75歳の頃、1970年代に製作された作品を取り上げます。まずはお約束の証明写真風な画像です。

遠刈田_亀之進_1970_1
1970年、66歳作。1尺5寸(約45cm)の大きなこけし。

遠刈田_亀之進_年代不明
年代不明。7寸(約21cm)。

遠刈田_亀之進_1977
1977年、73歳作。1尺(約33cm)。

さらに横に並んでもらいました。
頭部をカメラに撮ったのち画像の縮尺を合わせてみます。

遠刈田_亀之進_1970-1977

Kokeshi Wikiで「昭和40年代後半から次第に表情の位置が上方へずれ、手柄・胴模様も晩年は相当細いものになった」と記すとおり、7年間のうちに目の位置が上がっていくのがよくわかります。

左は1963年頃から続くシリーズ、右は1973年頃から登場したシリーズ。頭部の飾り模様も変えてモデルチェンジしたものが晩年まで続き、お弟子さんもこのスタイルを継承しています。

…とここまで書いてきましたが、ひとつ引っかかるのが「年代不明の7寸」です。
目線の上がり方に着目すれば1970年〜1973年の間に製作されたものと推定されるけれども、目尻の描き方や胴の形状、重ね菊の枚数が不安定なところが1963年頃の作品に近く、確定するにはもう少し資料が必要です。

参考


写真右が戦後再開期の作品です。
「私たち姉妹なんです」と言っても信じてくれなさそうですね。

余談

個人的には63歳〜67歳頃、1967〜1971年頃の作品に惹かれます。
斜め上からのアングルで鑑賞するときにとてもいい表情を感じるのですが、写真でそれを表現するのはなかなか難しいですね…
遠刈田_亀之進_1970_3

遠刈田_亀之進_1970_2

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