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一度見たら忘れられない強烈な表情とフォルムで熱烈なファンも多い湯田こけしたちに集まってもらいました。

湯田こけし 左手前から佐藤佑介(佑一)、小林順子、佐藤佑介の各工人作。
左奥から小林定雄(2本・2015年)、小林善作(3本・1966年頃)の各工人作。

湯田_善作_1966頃 小林善作工人の晩期作品。「エヘッ」と言っていそうな微笑は善作工人独特の面描です。

湯田_佑介_善作_定雄沢内地域に伝わる昔話「およね伝説」をモチーフに作られたという髷こけし、「およねこけし」の三者三様。前出の2作と定雄工人の作品。

湯田_善作_1966頃湯田_善作_順子_佑一_85-86右の佐藤佑介工人(1986年作)は小林定雄工人から木地を教わり、北海道江別で製作していましたが現在は休業。中央の小林順子工人(1989年作)は定雄工人の息子さんの奥方で、仕事や家事の傍らで製作をしております。この表情、個人的にはとても気に入っております。

工人のご親族が仕事や家事の傍らで製作に携わったケースが湯田こけし界隈には多く見られ、中にはご近所の方によって作られた作品(藤戸一栄氏)も僅少ながら存在します。

こちらが藤戸一栄氏(1957- )の作品。
ありふれたことばで言えば、こけしの持つ素朴な美を見事に表しています。
この安定感のある作品を生んだのが当時14歳の、こけし作りを教わって間もない中学生だったという事実に驚愕されます。木地挽きや描彩も一人でこなしたというのだからさらに驚きです。


一栄氏は湯田湯本の生まれ。1971年頃から小林定雄工人に木地挽と描彩を教わりこけしを作ったとされています(→「全工人の栞」,下巻 p214.)。作品は東京都内の店舗に置かれ収集界では「期待の新人」と話題になったそうです。
定雄工人のこけし作りを見て興味を覚えた近所の中学生が、好奇心と努力と持ち前のセンスをもって作ったこけしは平地人(都市生活者)を驚愕せしめたわけです。

この作品を見ていると、自分自身が14歳のときにどんなことに興味を持ち、そして行動していたのかをふと思い返します。周囲からいろいろなことを教わりながらも「もう子供じゃないんだ」と突っ張ってみることで自らの可能性を知っていく年頃…ときに大人顔負けの力が出たりするものです。


底面にはしっかり「十四才」と書かれています。
さきの参考文献には「1年近くで転業」とありますが、学業や進学等で忙しくなり作る時間がなくなったのだろうなと思われます。別の作品に書かれた底面の署名には「十六歳」とあり、高校2年生頃までは製作していたことが分かります。

ちなみに一栄氏は現在も湯田湯本にお住まいです。地元ではマラソンランナーとして知られ、東北各地のマラソン大会に参加したり、地元の駅伝チームの監督を務めるなどご活躍を続けています(→西和賀町「広報にしわが」2011年11月号, p11(PDF))。

湯田_輝子
2015年の産地訪問の際にお話を聞かせていただいた小林輝子夫人の作品。

湯田_輝子輝子夫人は描彩のほかにも、自ら木地挽きも行なっていた時期があります。

ギャラリー

Kokeshi Second Angle,こけしのドラマトゥルギー,鳴子系利右衛門系列,高橋正子,高橋義一,高橋輝行

筆者は「意識して特定の種類を集める」ときと、「気づいたら集まっていた」ときのパターンがあります。

面白いのは後者でビンゴに当たったような気分になります。「こけしが仲間を呼び寄せた」と表現する方もおります。

鳴子_義一_輝行_正子

「気づいたら集まっていた」一例がこちら。「高勘まつ子一族の小寸トリオ」と呼びましょうか。

「鳴子系・利右衛門系列」に分類されるもので、写真の作品は高橋勘治工人の孫、まつ子工人の一族によって製作されました。左から高橋義一、輝行、正子の各工人作で年代は2015〜2016年。鳴子では3〜3.5寸の大きさのものは「たちこ(立子)」と呼ばれていました。

目のバリエーションがなかなか楽しいです。
左の義一工人作は眼点を描かない「一筆目」とも読み取れるし、「描かれているのは眉毛で ”微笑みすぎて目がない" 状況」とも読み取れます。
丸みを帯びた木地挽きと力強さを感じる描彩で小さいながらも重みを感じるのが特徴です。