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花巻・斎藤斉工人の作品

2016年の夏に花巻を訪れた際、偶然見つけたこけし工房跡をきっかけにして南部系の周辺に興味を持つようになりました。
(関連→「花巻温泉にこけし工房跡を見る〜佐藤長雄工人作より〜」)

中でも関連記事内で少しだけ触れた、佐藤長雄工人のお弟子さんである 斎藤斉 工人(1931-没年不明, 署名は「花巻 ひと志」あるいは「斉藤」)の作品が気になり、機会を見つけて集めてみることにしました。

斉工人の作品はいわゆる伝統こけしとして紹介されるケースがほとんどなく、観光地のお土産屋さんに並ぶいわゆる「新型こけし」(おみやげこけし、観光こけし、商業こけしなどの呼び方あり)、あるいは「創作こけし」と同類項でまとめられています。

しかし、ルーツをたどればいわゆる伝統こけしとの接点を持ち、木地挽きとともに描かれる表情には趣きがあり「伝統性はない」のひと言で一蹴してしまっていいものなのかと考えました。

「東北のこけし(高井, 2008, p138)」で紹介されている作品と同型品で製作年代不明。
木地、描彩ともに斉工人の単独製作と思われます。
木地はアオハダで首が回るはめ込み式です。面描も胴の描彩も師匠の型を受け継いだものではなく、それゆえ「独立系」というジャンルに含まれます。

「まぁ、細かいことは気にすんな」
と言っていそうな表情をしています。
些細なことが気になってしかたがないとき、このノープロブレムな微笑を眺めていると少しばかり気が晴れてきます。

また、土産物店などで販売された「花巻 ひと志」の署名入りこけしには胴体に鹿踊りのイラストや宮沢賢治の詩歌が描かれるなどのバリエーションがあり、当初はこれらの描彩は他の職人によるものだと思っていたのですが、実は胴の描彩も本人によることが分かりました。

(参考)壁掛け「南部駒」

盛岡赤十字看護専門学校の記念こけしについて

盛岡赤十字看護専門学校 平成16年閉校記念品-1 正面

この作品は、かつて盛岡市三本柳の盛岡日赤病院に併設されていた「盛岡赤十字看護専門学校」が2004年3月に閉校した際に製作された記念品。胴体に描かれているのは女子救護員制服(式服)です。

当サイトをご覧の方からいただいたお便りによると、盛岡赤十字看護専門学校では2004年以前にも看護学生をモチーフにしたこけしが記念品として製作されたそうです。女子救護員制服と白衣(看護衣)の2体セットになっています。

現在、3つのバージョンが確認されており、

  1. 1967年(昭和42年)ナイチンゲール記章受賞記念
  2. 1976年〜1977年頃(昭和51年〜52年頃)専門学校改組記念?
  3. 2004年(平成16年)閉校記念

斉工人が製作に関与したのは2. と3. です。

1.は関係者のフローレンス・ナイチンゲール記章受賞記念品として製作されました。国内で現在に至るまで110人しか持っていない世界的栄誉の受賞を祝したもので、盛岡赤十字病院の看護部長室内に飾られました。作者は不明です。眼点が一側目、鼻がいわゆる猫鼻で描かれているのが特徴です。

2. の作例が下写真です。ユニークな面描が斉工人の作であることを決定づけます。
頭部や胴体に光沢があるのが特徴です。
学校の教務関係者が有志で製作されましたが、胴体背面には名目が記載されておりません。
看護学院から看護専門学校に昇格した頃の記念品と推定されます。専門学校化により学生は短期大学卒業と同様の資格が与えられ、4年制大学への進学も可能になりました。

盛岡赤十字看護専門学校記念品 1975〜1977年ころ(写真提供:読者様)

そして3. の閉校記念品。
花巻市内の煤孫盛造工人の工房が依頼を受け、斉工人が頭部を、盛造工人が胴体の製作を行なった合作です。

盛岡赤十字看護専門学校 平成16年閉校記念品-2 背面

伝統こけしと創作こけしを完全に二分する収集家や愛好家は結構多いかと思いますが、職人のあいだではそのような線引きはなく、それぞれの得意分野で協力していることがわかります。

盛岡赤十字看護専門学校 平成16年閉校記念品-3

ちなみに閉校記念こけしは日本赤十字社岩手県支部にある「盛岡赤十字看護教育記念プラザ」に展示していますので、ご興味のある方は一度ご覧になってはいかがでしょうか。

改めてこけしを見つめてみます。
この表情と赤十字の制服が意外とマッチしています。
つらいことがたくさんあるけれども淡々と仕事をこなす姿が感じ取れます。

盛岡赤十字看護専門学校 平成16年閉校記念品-4

創作型もノープロブレムな表情。

ギャラリー

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花巻は古くからの湯治場として知られるとともに、こけしの主要産地としてもその名を馳せていました。南部系こけしを「花巻系」と呼んでいた時期もありました。

花巻_台温泉初夏の台温泉にて。
台温泉は通り沿いに小規模な旅館が立ち並び、湯治場の雰囲気を色濃く残しています。
明治初期から湯治客の土産物としてこけしが売られていたそうですが、最初に作り始めた工人が誰だったのか、文献に記載されてはいるものの地元出身の鎌田千代吉工人がどのようなこけしを作っていたのか、現在でもはっきりと解明できていません。

台温泉_福寿館
明治後期には旅館業と木地製造業を営んでいた福寿館(上写真)の女将が高橋寅蔵工人を招いたり、小松五平工人が寅蔵工人の仕事を手伝ったり、大正初期に鈴木傭吉工人が木地業を営んでいたりと鳴子方面との関わりが強いのが特徴です(→辞典・P363他を参照)。

すでに廃絶産地となってしまいましたが、文献を読みながら温泉街を散策してみると遠い昔へのイマジネーションが膨らんできます。

花巻_佐藤こけし店跡3さて本題。
前日に路線バスで花巻駅から台温泉へ向かっていたところで車窓を横切ったこの風景。

車窓からは数秒で過ぎ去っていきましたが「こけし 製造 販売」という文字は私の脳裏にしっかり焼きつきました。このまま見過ごすわけにはいかず、翌日、花巻駅へ向かう帰路のバスを途中下車しました。

花巻_中屋敷停留所場所は花巻市内湯本。花巻温泉からバスで数分の「中屋敷」停留所が最寄りです。

花巻_佐藤こけし店跡2写真左が花巻温泉方面、右が花巻駅方面です。

ご覧のとおり、店舗は空き家です。何年前まで営業していたのでしょうか。

道路沿いにあるこうした店舗は土産物店専業であることが多く、商品の販売だけを行なって実際の製造は別の場所で行なっていたりするのですが、建物の構造を見ると製造もここで行なっていたことが分かります。

花巻_佐藤こけし店跡1まるで古いこけしのように色が飛んでしまった看板。

花巻_佐藤こけし店跡5店舗入口のアルミサッシから店舗内を覗いてみます。
2畳ほどの販売スペースには商品展示用の棚が残されています。
この棚にさまざまな大きさのこけしが並んでいたのでしょう。

花巻_佐藤こけし店跡4販売スペース左側は作業場。
この換気扇はろくろを挽いたときに出る木の粉塵を屋外に逃がすもの。
観光客が往来する通りに面したこの場所で製作をしていたのでしょうか。
空き物件になり不動産屋さんの看板が掲げられています。

 

この建物の元持ち主は?
調べてみたところ、独立系の佐藤長雄工人であることが分かりました。
長雄工人は1926年(大正15年)生まれ。戦後まもない1947年に白石で遠刈田系の佐藤寅吉工人に弟子入りし(※)、1959年から花巻に居住。市内の民芸品製造所(幸工芸社、花巻物産)勤務を経て1965年に独立、1975年に現在の店舗が建てられました。
さらに1980年には平泉在住だった鳴子系の大沼俊春工人の指導を受け、1985年から俊春型を製作したと言われています。
(※ 佐藤佐吉工人に師事したと記述する文献もあり。ちなみに寅吉・佐吉両工人ともに師匠は佐藤茂吉工人)

ちなみに長雄工人のお弟子さんは同じく独立系の斎藤斉工人。
斉工人の創作こけしは宮沢賢治の著作や花巻の郷土芸能にちなんだ絵柄を胴部分に描いてあり「花巻 ひと志」と署名されています。

花巻_長雄_1997旅から帰ったのちに入手した長雄工人の作品。底面には「9.11.15 丸栄実演」の表記があり、1997年に名古屋の丸栄百貨店で開催された岩手県物産展で販売されたものと思われます。製作時の年齢は71歳。

材料にアオハダを使用し、キナキナの技法を用いて首元がクラクラと動く南部系の要素が盛り込まれているユニークな作品です。大胆な筆使いの、ずいぶんとこってりした甚四郎型という印象。

下記関連ページにも作品例が紹介されており、遠刈田系のフォルムに椿の花を描いた「椿こけし」が代表作とのこと。

鳴子温泉_俳句投稿用紙両工人の作品が意外なところにありました。
鳴子温泉では「奥の細道」にちなんで観光客からの俳句投稿を募っており、観光スポットに俳句投稿箱が設置されています。
投句用紙に描かれているのは長雄工人の「椿こけし」と斉工人の創作こけし。

Google Street Viewに表示された佐藤こけし店。
収録は2013年8月。この時点では営業状態、少なくとも居住状態であったことが店舗入口の宅配便取扱所の看板や店内の棚に並ぶ作品から伺うことができます。

あと3年訪れるのが早かったら…
「かつてここに工人がいた」という場所がまた増えていくんだろうなと思うと寂しくなります。

〜関連ページ〜
花巻観光協会
伝統工芸体験
岩手県観光ポータルサイト「いわての旅」
遠刈田系こけし