15.06.22 盛岡・ 五葉社 訪問
近頃は休養と気分転換を目的に旅に出ることが多かったのですが、今回は伝統こけしをテーマにして旅に出てみることにしました。
この記事では盛岡市内で南部系こけしを製作している田山和文・和泉工人の工房「五葉社」さんを訪れたときの模様を記録しています。
まずは腹ごしらえを兼ねて市内散歩へ。駅から市内循環バスで県庁方面に向かい櫻山神社界隈を散策します。
この時期の見どころはやはり新緑。盛岡城跡公園(岩手公園)のお堀周辺にはまぶしいばかりの新緑が広がります。
路線バスを利用するときは盛岡バスセンター、盛岡駅から繋温泉、滝沢方面の路線バスに乗り「館坂橋」停留所下車。厨川小学校を目印に西方向へ歩いていくと5分ほどで到着します。徒歩の場合は盛岡駅東口から青森方面に向かって線路沿いをひたすら歩き、電車の車庫が見えたところで右に曲がります。駅から徒歩約20分ほどで到着できます。
木地の白さが魅力のミズキですが、原木をしばらく放置しているとねずみ色に変色してしまうため保管には気をつかいます。最近は白さを引き立たせるため漂白するところもあるそうですが、五葉社さんでは原木の色あいを大切にしたいと漂白は行なっていないとのこと。
描彩用の筆や塗料など画家のアトリエを連想される風景です。
ここで南部系伝統こけしについてメモをつけておきます。
やはり日本でもっとも面積の大きい岩手県だけあって、さまざまなルーツが出てまいります。田山工人は安保氏という南部藩の木地師一家の流れに入りますが、安保氏はもともと漆器で知られる県北二戸の浄法寺の出で、藩の御用として城下町・盛岡に移り住み木地業を営んでいました。
この安保家と、盛岡の商家だった松田家、花巻の木地師である煤孫家と血縁関係、師弟関係を持つことによって木地師の系譜が作られていきます。原木を加工してさまざまな製品をつくる中の一アイテムとして「キナキナ」と呼ばれるものが作られる一方で、他系列の影響を受けたこけしが作られ現在に至っています。
このため、ひとくちに南部系伝統こけしといってもその形態はさまざまです。描彩のないキナキナからどこか鳴子系や遠刈田系を連想する形状・描彩の作品など多彩です。ただ共通する点はシンプルであるということ。木目や木地そのものの色を活かした作品であるということが鑑賞のポイントになるかと思います。
画像右4点は一寸物。この小ささと描彩の繊細さが画像から伝わっていただけると幸いです。
宮本永吉(1880-1951)工人は一ノ関・山ノ目の生まれ。祖父が岩出山の出身で鳴子で木地修行を行なったことからこけし製作の技術が継承されたと言われています。そのため形状は鳴子系に近く「外鳴子」と呼ばれています。
墨と赤の2色で描かれた菊模様と放射状の手絡はいずれもシンプル。オリジナルの永吉型には製作年代によってさまざまなバリエーションがあり、それらを調べた上で作るため「シンプルだけどごまかしがきかないので難しい」と話しておりました。