存続の危機をこえて 〜あつみ温泉とあつみこけし、途切れなかった系譜〜

蔵王高湯系,阿部常吉Kokeshi Report,Kokeshi Second Angle,蔵王高湯系,阿部常吉

山形県鶴岡市のあつみ温泉で製作されている「あつみこけし」から、地域の歴史と工人の歴史に共通項を見出していこうと考えます。
※本文の氏名は敬称略とさせていただきます。

Ⅰ 「途絶える」という「危機」を入口に

あつみ温泉もあつみこけしも、これまでに幾度か「このまま途絶えるのではないか」という危機に直面してきました。
温泉地は大火に見舞われ、こけしの系譜も後継者が途切れかけた時期がありました。

けれども、そのたびに誰かが手を挙げ、途切れかけた糸をつなぎ直してきました。完全な断絶ではなく、危機からの再生…それが、あつみ温泉とあつみこけしに共通する流れです。

Ⅱ あつみこけしの系譜

あつみこけしは、福島県土湯温泉の木地師・阿部吉弥にさかのぼります。吉弥の子のうち、四男の阿部常松が青根温泉・山形・湯野浜温泉を渡り歩いたのち、1903年(明治36年)にあつみ温泉へ定住し、ここで木地業を営み出したことから始まります。

常松の跡を継いだ次男・阿部常吉は、系統論では諸説あるなかで、自らは「あつみ系伝統こけしだ」と主張し続けました。文献によっては「独立系」とカテゴライズされることがあります。

丸くてくるりとした目の面描が特徴で、父・阿部常松の作風を忠実に受け継ぎ、1971年(昭和46年)には山形県の「名人位」を受けています。

その長男・阿部進矢は、父・阿部常吉の型を継承しつつ「横睨み」という独自の描法を確立し、1999年(平成11年)には第19回みちのくこけしまつりで内閣総理大臣賞を受賞しました。

そして現在、進矢の姉の次男にあたる津田隆が、65歳の定年を機に進矢へ弟子入りし、いったん途切れかけた継承を志願という形で再興しています。次世代として津田るりこも現在製作に携わっています。

現在阿部吉弥18281886阿部常松18681926阿部常吉19041991阿部進矢1937津田隆1959津田るりこ

図表1. あつみこけしの系譜

Ⅲ あつみ温泉のターニングポイント

本稿ではあつみ温泉の近代史は、鉄道とともに始まったと考えています。
1923年(大正12年)3月18日、羽越線が延伸して温海駅(現・あつみ温泉駅)が開業し、翌1924年(大正13年)には秋田―鼠ヶ関間、新津―秋田間が相次いで全通しました。翌1925年(大正14年)に羽越本線と改称され、日本海を縦貫をする路線として機能していきます。

羽越線の開業・延伸によりあつみ温泉は「近隣地域の居住者が歩いて行く湯治場」から「鉄道で訪れる温泉地」へと姿を変え、後の観光地としての発展の土台となりました。

鉄道の開通により温泉地の需要供給が変化すること。続いて観光需要の増加によってこけしをはじめとする郷土玩具がみやげ物として起用されること。さらに遠方からの利用者によって郷土玩具が他の地域に周知される…この機序は大正末期から昭和初期にかけて東北地方各地で見られますが、あつみ温泉も同様の機序をたどったといえます。

県外の利用者が増えたことにより地域経済が潤ったものの、1931年(昭和6年)から始まる戦争から戦時体制に入り、1944年(昭和19年)からは戦時疎開児童の受け入れで地域の宿泊施設が利用されるようになります。

戦後、客足が戻りつつあった時期にあつみ温泉は大火災に見舞われます。
1951年(昭和26年)4月24日深夜、温泉街で大火が発生しました。全427戸のうち251戸が全焼し、旅館19軒や郵便局、銀行支店なども失われました。罹災者は1700人を超えましたが、幸い死者はいませんでした。対岸にあった旅館・萬国屋だけが焼失を免れましたが、これは1939年(昭和14年)の漏電火災を機にすでに川の対岸へ移転していたためでした。大火の翌年頃からは、源泉を集中管理する方式が導入され、これが現在の温泉供給の原型となっています。

火災からの復興を遂げたあつみ温泉は利用者増加に向けた施策を進めます。特筆するのは1977年(昭和52年)の駅名改称です。
当時の「温海駅」という表記は「あたみ」、「おんかい」、「ぬくみ」などと読み違えられることが多かったと言われています。そこで地元の観光関係者の要望や運動により国鉄を動かし「あつみ温泉駅」へと改められました。現在では「〜温泉」と名乗る駅名は多数ありますが、「温泉」を付けた駅名改称としては、当時としては早い例にあたります。
あわせて、温泉地としての表記も「あつみ温泉」に統一し、現在に至ります。

1923–24鉄道開業1939萬国屋火災1951温海大火1977駅名改称2012高速道路2019地震・指定2025計画書策定

図表2. あつみ温泉、2度のターニングポイント

Ⅳ 土地と工人が重なるとき

さきに触れた地域のできごとを、こけし工人の系譜と並べてみると、興味深い点が見えてきます。
それを表したのが下図です。

あつみ温泉は、火災や震災という物理的な危機を、そのつど地元の意思で乗り越えてきました。こけしの系譜もまた、継承がいったん途切れかけながらも続いています。
どちらも、危機のただ中で誰かが踏みとどまり、次の形へとつないできました。

2026年7月のインタビューで津田るりこは、あつみこけしを継続したいと考えた理由をこう話しています。
「親戚の間であつみこけしを継ぐ人がいないことが話題になって、このまま途絶えてしまうのはもったいないと思った。それならば私が継ぎたいと考えた」

こけし工人の歩み阿部常松阿部常吉阿部進矢津田隆津田るりこあつみ温泉・地域の出来事1923–24鉄道開業1939萬国屋火災1951温海大火1977駅名改称2012高速道路2019地震・指定2025計画書

図表3. あつみ温泉の歴史とこけし工人の歩み

Ⅴ 「くるりとした目」の源流

閑話休題。
さきにあつみこけしを特徴づけるのは「丸くてくるりとした目」と述べました。
三代目・阿部進矢氏はその着想源について以下のように考察しています。

初代・常松が庄内にたどり着いたとき、農作業をする女性が目だけを出して頭を布で覆う「まるぼうし(はんこたんなともいう)」姿を見た――それが、あの印象的な目のデザインにつながったのではないか、と。

出典:東北公益文科大学三原研究室・斉藤和氏の論文
 http://www7b.biglobe.ne.jp/~y-mihara/2013.4-2Nodoka.pdf

「はんこたんな」とは農作業を行なう女性が頭部から顔面に身につける覆面のことで、日除け、虫除け、粉塵避けなどの機能があるとされています。
黒い服面の間から見えた大きな目がとても印象的だったことがわかるエピソードです。

はんこたんな(まるぼうし)のイメージ
阿部常吉作、年代不明

Ⅵ 結び

かつて、こけしの愛好家はただこけしを蒐集するのみでなく、工人をはじめとするこけしに関わる人々や作られた地域の歴史や文化を関連させながらこけしを鑑賞していきました。翻って現在、興味の対象がこけしという物体に特化するようになり、多面的、多角的にこけしを見ようとする動きが弱くなってはいないかと思う場面が多々あります。

この記事を書いたのは、先人には及ばないものの、いま一度こけしを多面的、多角的に見ていきたいと考えたからでした。
こけしをキーにしてさまざまな文化を知り、理解していくことで人生をより楽しく過ごすための趣味につなげていけるのではないかと考えます。

こけしの各産地では次の担い手たちが育とうとしている中、こけし愛好者も次の世代の愛好者をつくり、視野を広げて楽しみを深めていってほしいと考えます。この記事がその一助となれば幸いです。

参考文献

・Kokeshi Wiki(kokeshiwiki.com)阿部吉弥・阿部熊治郎・阿部常松・阿部常吉・阿部進矢・津田隆 各項 
・Wikipedia「あつみ温泉」
  https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%A4%E3%81%BF%E6%B8%A9%E6%B3%89
・デスクトップ鉄「駅名改称の研究」
  https://www.desktoptetsu.com/ekimeikaisho.htm
・齋藤和(のどか)「あつみ温泉の歴史とこれから」東北公益文科大学三原研究室 卒業論文(2013年)
  http://www7b.biglobe.ne.jp/~y-mihara/2013.4-2Nodoka.pdf
・『温泉』45巻11号(通巻511号)、日本温泉協会編、1977年11月刊
・あつみ温泉 国民保養温泉地計画書、環境省、2025年(令和7年)3月
・荘内日報(2025年6月10日付)