花巻は古くからの湯治場として知られるとともに、こけしの主要産地としてもその名を馳せていました。南部系こけしを「花巻系」と呼んでいた時期もありました。
初夏の台温泉にて。
台温泉は通り沿いに小規模な旅館が立ち並び、湯治場の雰囲気を色濃く残しています。
明治初期から湯治客の土産物としてこけしが売られていたそうですが、最初に作り始めた工人が誰だったのか、文献に記載されてはいるものの地元出身の鎌田千代吉工人がどのようなこけしを作っていたのか、現在でもはっきりと解明できていません。
明治後期には旅館業と木地製造業を営んでいた福寿館(上写真)の女将が高橋寅蔵工人を招いたり、小松五平工人が寅蔵工人の仕事を手伝ったり、大正初期に鈴木傭吉工人が木地業を営んでいたりと鳴子方面との関わりが強いのが特徴です(→辞典・P363他を参照)。
すでに廃絶産地となってしまいましたが、文献を読みながら温泉街を散策してみると遠い昔へのイマジネーションが膨らんできます。
さて本題。
前日に路線バスで花巻駅から台温泉へ向かっていたところで車窓を横切ったこの風景。
車窓からは数秒で過ぎ去っていきましたが「こけし 製造 販売」という文字は私の脳裏にしっかり焼きつきました。このまま見過ごすわけにはいかず、翌日、花巻駅へ向かう帰路のバスを途中下車しました。
場所は花巻市内湯本。花巻温泉からバスで数分の「中屋敷」停留所が最寄りです。
ご覧のとおり、店舗は空き家です。何年前まで営業していたのでしょうか。
道路沿いにあるこうした店舗は土産物店専業であることが多く、商品の販売だけを行なって実際の製造は別の場所で行なっていたりするのですが、建物の構造を見ると製造もここで行なっていたことが分かります。
店舗入口のアルミサッシから店舗内を覗いてみます。
2畳ほどの販売スペースには商品展示用の棚が残されています。
この棚にさまざまな大きさのこけしが並んでいたのでしょう。
販売スペース左側は作業場。
この換気扇はろくろを挽いたときに出る木の粉塵を屋外に逃がすもの。
観光客が往来する通りに面したこの場所で製作をしていたのでしょうか。
空き物件になり不動産屋さんの看板が掲げられています。
この建物の元持ち主は?
調べてみたところ、独立系の佐藤長雄工人であることが分かりました。
長雄工人は1926年(大正15年)生まれ。戦後まもない1947年に白石で遠刈田系の佐藤寅吉工人に弟子入りし(※)、1959年から花巻に居住。市内の民芸品製造所(幸工芸社、花巻物産)勤務を経て1965年に独立、1975年に現在の店舗が建てられました。
さらに1980年には平泉在住だった鳴子系の大沼俊春工人の指導を受け、1985年から俊春型を製作したと言われています。
(※ 佐藤佐吉工人に師事したと記述する文献もあり。ちなみに寅吉・佐吉両工人ともに師匠は佐藤茂吉工人)
ちなみに長雄工人のお弟子さんは同じく独立系の斎藤斉工人。
斉工人の創作こけしは宮沢賢治の著作や花巻の郷土芸能にちなんだ絵柄を胴部分に描いてあり「花巻 ひと志」と署名されています。
旅から帰ったのちに入手した長雄工人の作品。底面には「9.11.15 丸栄実演」の表記があり、1997年に名古屋の丸栄百貨店で開催された岩手県物産展で販売されたものと思われます。製作時の年齢は71歳。
材料にアオハダを使用し、キナキナの技法を用いて首元がクラクラと動く南部系の要素が盛り込まれているユニークな作品です。大胆な筆使いの、ずいぶんとこってりした甚四郎型という印象。
下記関連ページにも作品例が紹介されており、遠刈田系のフォルムに椿の花を描いた「椿こけし」が代表作とのこと。
両工人の作品が意外なところにありました。
鳴子温泉では「奥の細道」にちなんで観光客からの俳句投稿を募っており、観光スポットに俳句投稿箱が設置されています。
投句用紙に描かれているのは長雄工人の「椿こけし」と斉工人の創作こけし。
Google Street Viewに表示された佐藤こけし店。
収録は2013年8月。この時点では営業状態、少なくとも居住状態であったことが店舗入口の宅配便取扱所の看板や店内の棚に並ぶ作品から伺うことができます。
あと3年訪れるのが早かったら…
「かつてここに工人がいた」という場所がまた増えていくんだろうなと思うと寂しくなります。
〜関連ページ〜
花巻観光協会
└伝統工芸体験
岩手県観光ポータルサイト「いわての旅」
└遠刈田系こけし