Kokeshi Second Angle,鳴子系岩太郎系列,櫻井昭寛

東京・神田の書肆ひやねで5年ぶりに開催された「山河之響の会」は13回目。技術に高評のある工人と作品が東京に集う貴重なイベントです。

工人のみなさんのお話を聞くと近年の傾向として、1.材料の入手に難儀すること、2.大寸作品よりも小寸作品が、3.伝統型よりも創作型が売れるとのこと。この3点はこけしをとりまく環境や問題点を的確に表していると考えます。

1.材料の入手に難儀すること
こけしの材料となるミズキが手に入りづらくなっているのが最近の問題になっています。木々は山にたくさん生息していますが、それを切り出す林業の従事者が少ないのです。原木は体積単位で取引されるため、建材で使われ1本あたりの体積が大きく利益率の高いスギやヒノキ、アカマツとくらべ、用途が限られ加工工程が多い木は利益率の低さから伐採に積極的ではないのが現状です。

2.大寸作品よりも小寸作品が売れる
これは近年の住宅事情が影響しています。こけしの購買層は都市部在住者が多いと言われています。マンションやアパートなど集合住宅に居住する愛好者から「大きいと部屋に置けない」という声を聞くことがあります。
かつて深沢要氏はこけしの造形的に安定し、鑑賞に適したサイズは4寸〜8寸あたりでこれを「定寸の美」と評しましたが、最近は4寸でも大きいと言われることもあるとか。

3.伝統型よりも創作型が売れる
戦後の一時期、新型と呼ばれるこけしが多く売れた時期があったように、これも時代のトレンドである、とまとめてしまうと論が大雑把になるように思えます。
近年はポテンシャルも創作意欲も高い方々がこけし工人になっており、さまざまな作品を作り続けています。一方でそのポテンシャルに応えられるユーザーが増えているかといえば、正直なところそう多くはありません。
伝統こけしを楽しむには少なからず知識や教養が必要であり、「こけしの見かた、感じ方、考え方」といった鑑賞の視野を広げる機会が増えてほしい、と愛好者のひとりとして思います。
ある蒐集家と話したとき「趣味のサイクルは5年。『かわいい』から入ってきた方たちにどう『深み』や『広がり』を持ってもらえるかが持続のカギ」ということばを聞きました。筆者自身もこのサイトを通じて何ができるだろうかと模索しております。
こけしについて考えるとき経済活動と文化活動は車の両輪であり、どちらかが衰えても持続はできません。1


来場された蒐集家や研究家の大先輩からお話をうかがっても認識は共通するものでした。けれどもこれらの問題を先送りせず、自分たちのできるところから解決していこうと行動している方々にお会いできたのは刺激になりました。

画像は昭寛工人の最新作と5年前に同じ場所で入手した作品です。大沼健三郎工人の様式を立ち子で表現した新作はフォルムと眼点のまなざしに惹かれます。もうひとつは櫻井昭二工人の創作・ベレー帽再現で、細やかなビリカンナの手触りと頭頂部のキュートさがポイントです。

会場で研究家の箕輪新一氏が「反(そ)りと起(むく)りは日本の伝統、ここに着目していくと作品はもっとおもしろくなる」と話されていたのを思い出しながら作品を見ています。

  1. 「文化を大切にする社会の構築について ~一人一人が心豊かに生きる社会を目指して」(文化庁サイトより)↩︎

Kokeshi Second Angle,土湯系高橋忠蔵

2024年11月に開催された東京こけし友の会・11月例会での「みんなで持ち寄り鑑賞会」は高橋忠蔵工人の戦後作品がテーマでした。
この鑑賞会は戦後の工人・作品に注目し、会員が持つ作品を持ち寄って展示・鑑賞を行なうというもので、2024年3月から開始され今回が7回目になります。『手帖・766号(2024.11)』の記事によれば、この鑑賞会を通じて「定評のある作品を再確認する」、「新たな観点から作品を鑑賞・評価し、秀作を見出す」、「工人やこけしに関するエピソードを話し合う」などを目標にしている述べています。

忠蔵工人は名工のひとりなのでさまざまな文献で評価がなされています。特に「ピーク期」ということばで年代変化を記した同人誌『木の花』でなされた評価は後々の蒐集家ばかりでなく、中古品の査定金額を算出する上でも大きな影響を与えています。

注意する必要があるのは「ピーク期のすべてがいい作品、高額である、それ以外の時期の作品には目もくれない」という意味ではないということです。
佳作が多い時期はこのあたりと当時の執筆者陣が判断したという意味であり、それ以外の時期にもいい作品はたくさんあります。
それらを発掘し、時期による作品の変化を見ていくことがこけしの楽しみかたと考えます。広い視野で鑑賞を継続していくことで普遍的な美しさを探究していく…『木の花』誌が目指したものはそういう楽しみ方を提案し、啓蒙していくことだったと考えます。

ところが「ピーク期」ということばだけがひとり歩きし、作品そのものを見るのではなく、極端な例を挙げれば「底面に書かれている署名と年齢、製作年(あるいは底面に貼付・押印された蒐集家の蔵書票や印)で作品の価値を判断し、値段までつけてしまう」といったケースが散見されるようになりました。私はこれを「ピーク史観」と呼んでいます。

1970年代の第二次こけしブームのとき、切手のようにこけしが投機対象にされたことがあり、製作年代の判別方法やその評価が書かれた書籍は市場価格を決める上での材料となりました。中古作品がネットオークションで取引される現在においてもこれらの書籍で評価・判断がなされることがあり、その傾向は強くなっているのではないかと考えます。

だからこそ、作品そのものをしっかり鑑賞していくことが大切になっていきます。

さて、写真の作品は『木の花 第四号 (1975)』で「厳しさが薄れ、一様におっとりした感じ…」とネガティブな評価をされている時期のものですが、よく見るとどれもいい表情をしており、木地のフォルムも安定しています。これらの作品を机の片隅に置いて仕事の合間に眺めたら気分が落ち着いてくるのではないでしょうか。いまの世知辛い時代、緊張感や厳しさよりもユルさを求める人が多いのではないかと思います。

時代や価値観が変われば観点も変わっていきます。過去の作品を再評価したり、改めて鑑賞するのはいまだと思います。遠い昔に作られたこけしたちは時をこえて、いま、ここに生きている私たちに問いかけています。