こけしはタイムカプセル。1本のこけしの中には、作り手や街の、そして自分自身のドラマが凝縮されている。

Kokeshi Second Angle,遠刈田系作田栄利

1959年(昭和34年)に製作された 作田栄利 工人の作品。
私見になりますが、遠刈田こけしに求めるものは「歳上の姉さん的面持ち」ではないかと考えます。

若いうちは元気さやノリ、ちょっと突っ張った感を魅力だと捉える傾向にありますが、歳を重ねていくと、落ち着きと包容力を魅力であると捉える傾向が高くなっていきます。

単純なかわいいに収まらない表現があるからこそ、こけしは世代を越えて幅広い年齢層に支持されているのだと思います。

こちらは戦前、1941年(昭和16年)頃の作品です。

遠刈田温泉・作田栄利工人作、1941-2

Kokeshi Second Angle,こけし道中,弥治郎系佐藤美喜子,嘉吉系列

東京こけし友の会 4月例会で頒布された、佐藤美喜子 工人による3寸の作品。
胴模様に描かれた花はミヤマキリシマという九州の山地で自生するヤマツツジです。園芸用には「久留米つつじ」の名前で出回っています。

震災直後、佐藤誠孝 工人ほか一家3人は群馬県渋川市の赤城町へ避難したことがあります。赤城山の麓にはつつじが多く咲いていて、シーズンには多くの観光客で賑わいます。
佐藤英之 工人は震災で厳しい状況に追い込まれた時に見た力強く咲くツツジの姿に自分たちもこのように生きていきたい、と群馬テレビのインタビューで答えています(→下記動画参照)。

ちなみに誠孝工人の父、佐藤誠 工人は1950年頃に赤城町に隣接する前橋市総社で木地の仕事をしていたことがあります。総社町植野地区は木地玩具の産地として知られ、群馬総社駅前には近代こけしの先駆者、関口専司氏の記念碑が建っています。

高崎から列車で20分弱、前橋市にある群馬総社駅に降り立ちます。
駅前に立つ石碑には「関口専司翁之碑」とあります。
明治期に東京でろくろ技術を修得した専司翁が駅周辺の植野地区で木地玩具を製作したのが始まりだそうです。

群馬は水源が多く電化も早かったことから、大正10年代にモーター式ろくろが導入され、大量生産へシフトしていきました。これが戦後、白石市と同じく新型・お土産こけしの生産地として広く知られるようになり、さらには創造性を高めた近代こけしへと続いていきます。

こけし生産の拡大と電気の普及には関係があり、遠刈田においても北岡商店のようにモーター式ろくろを導入したことで事業者が複数の職人を雇い生産性を上げていきました。と同時に雇用主と労働者の関係が発生していきます。

現在も前橋市内では木地玩具や近代こけしを製造したり販売する事業所が複数あり、県内のみならず全国に製品を送り出しています。