Kokeshi Second Angle,こけし道中,木地山系

7月1日より5日まで東京巣鴨のとげぬき地蔵尊(高岩寺)で開催された「第11回東北復興支援・木地山系伝統こけし製作実演」に出かけてまいりました。

木地山系こけしは秋田県の湯沢周辺(皆瀬・川連)が主な産地で、近年人気の高い系統です。今回の製作実演では当日の混雑や混乱を避けるため、一部工人の作品購入に整理券配布・抽選方式を採用したとのことです。

佐藤達雄 工人作の通称「池田修三風金髪こけし」。
同郷の版画家・池田修三氏の作品をモチーフにしたこけしで、眼の周囲の青色と金髪が特徴。

かねてより入手したかったのがこの帽子つき作品。
外国人の来場者は「とてもシックだ」と話しておりました。
沢田研二な帽子のかぶり方は撮影上の演出です。

2008年からこけし製作に取り組んでいる藤原勝郎工人の作品群。
勝郎工人は元湯沢市の職員。地域の古文書研究を続けており、その概要は『手帖』(663号, 2016年4月号)にも寄稿されています。

こけし製作を始めたのは近年で、自らろくろを探し求めて作り始めたそうです。

秋の小安峡を連想させる柴田良二工人の作品群。
良二工人は柴田鉄蔵工人(1899-1960)の甥にあたります。

今回入手した作品はこちら。
前方左より藤原勝郎、佐藤達雄、三春文雄の各工人作。
後方左より沼倉孝彦、柴田良二の各工人作。

おまけ

木地山系不明こけし。
寝起き直後のような癖のついた髪型と帯の下がった絣に何やら妄想をかきたてられます。

…と言いたいところですが、恥ずかしながらの拙作です。
初めて絵付けに挑戦してみました。
描彩には墨汁とサクラマット水彩の赤・緑を使用しています。

「川連こけし描彩マニュアル」という絵付け体験者向けに書かれた資料には、代表的な型(泰一郎、米吉、兵次郎、石蔵、徳一の各型)と描き方の順序が丁寧に書かれており、まずはこの資料を見ながら自分が描きたい型を決めます。型が決まったら上質紙で練習。
運筆のコツは「入れるときは静かに、中ほどで力を加えて、最後はスッと抜く」です。

筆を持ったのは高校時代の美術以来で、力の入れ具合と筆の運び具合に最後まで慣れずじまいでした。
米吉型に挑戦、と思い眼を描きだしたら失敗、すかさず眉にして石蔵型に変更、襟を描いたら兵治郎型どころかノースリーブ様になってしまい…ショートカットヘアは他系列が入ってなんだか得体の知れないものが。

絵付けに必要なのは思いきりとバランス。
でも分かったのは、「ふだん自分がよく見ている作品に似通った顔を無意識に描いてしまう」ということでしょうか。

湯沢の隠れ銘菓、いしもとのあたごせんべい。
全て手作業で作られているため流通量が少ないそうです。
岩出山の「おおくぼのかりんとう」よりもあっさりした風味で、川越の芋せんべい「初雁焼」に近い食感です。

Kokeshi Second Angle,仮説だらけのこけし研究レポート,鳴子系

鳴子_勇_1971

黄鳴子とは

黄鳴子」とは、大正中期からに昭和初期にかけて鳴子で作られた、黄色の下地塗りを胴部に施したこけしのことで、西田峯吉氏(鹿間時夫氏という説もあり)による造語です。

起源は諸説ありますが、肘折こけしで胴を黄色く塗る手法が隣接産地に伝わったというのが有力です。手間と時間のかかる漂白や研磨をせずに木地のくすみをマスキングできることから大量生産に適しているとして広まっていきました。

戦後は黄色に塗らず、いわゆる「白胴」で製作されることが主流になりましたが、現在も当時の作例を継承・復元した作品が僅かながら作られています。

「黄鳴子」の発生過程はいくつかの文献を当たると出てきますが、「なぜ黄色に塗らなくなったのか?」という点は個人的に興味深く感じるところが数多くあります。

興味をそそる「消えた理由」

「辞典(p164)」を読んでみると
1.戦後、研磨を丁寧に行なうなど加工技術に変化があった
2.戦時疎開している子どもから「黄疸みたいだ」と揶揄された

という理由が書かれています。
1.は電動式ろくろの登場で省力化できたことから研磨が容易になったり、薬品(過酸化水素、アンモニア)や機械を使った木材の処理技術が普及したからと理解できます。

ただ、2.の「黄疸みたいだ…」という理由は果たして本当なんだろうか…と思います。
戦中の一時期、鳴子では東京からの疎開児童を多数受け入れていました。親元から離れた疎開児童たちにこけしをプレゼントしたというエピソードが残っています。そこには胴を黄色で塗った作品もあったと推測されます。
こけしの扱い方に慣れてない児童たちは湿った手でこけしを握り、当然ながら色が手につくわけです。
そこで「(手が黄色くなって)黄疸みたいになっちゃったよ…」と訴える児童が少なからずいたのではないかと思います。

現在は顧客の強いクレームによって商品の仕様やサービスが大きく変わるケースが多々ありますが、国難である戦争の時代に児童のクレームひとつで数十軒もあるこけし工房が一斉に作らなくなるようなことがあるのでしょうか。

「こけしは玩具でメインユーザーが子どもたちだから、子どもたちの意見を忌憚なく聞き入れて商品に反映させる」というカスタマー・サティスファクション的なスタンスが戦中から終戦直後にかけて本当に存在していたかどうかは考えてみる余地はあります。

染料に着目

戦後まもなく「黄鳴子」が消えた理由にはもっと決定的なものがあるのではないか? と感じていくつかの仮説を立ててみることにしました。
そこで注目したのはこけしの材料のひとつ、「染料」です。

こけしの絵付けには墨と染料が使われています。
なぜ染料なのか? という理由には、

  1. 安価で入手しやすい
  2. 玩具である
  3. 透明性があり木の質感が残る

が挙げられます。
併せて、戦前に使われていた主な染料を挙げてみます。

染料名備考
赤色エオシン、スカーレット
黄色オーラミン
緑色マラカイトグリーン
紫色メチルバイオレット

表に記した染料のほとんどは当時、食用色素として広く流通されていたもので、薬局や食料品店で入手することができました。地域には小正月にカラフルな「みずき団子」や「団子さし」を作って供える風習がありますから、これらの食用色素は常に入手できたと考えられます。

また、こけしをはじめとする木地玩具は子どもが手にして遊ぶことを大前提に作られているので有毒な色素は使えません。「有害性着色料取締規則」(1900年制定)は食品のほか、乳幼児用玩具も対象になっていました。
当時、食用色素として出回っていたこれらの染料は「口に含んでも大丈夫」と考えられ、使用されていました。

さらに、木材に色をつける材料には、漆、水彩絵の具、油彩、岩絵具などがありますが、これらは高価なうえ、都市部の画材店など入手できる場所が限られていることから材料の確保が困難です。

こけしに使う材料を当時の地域における風習、交通・流通事情から見ていくと結構興味深いものがあります。

物資不足とオーラミン除外が原因か?

では、「黄鳴子」の消えた理由と、染料にはどのような関係があるのでしょうか。
ひとつは戦中から終戦直後の物資不足、もうひとつは新たな食用色素の規制です。

戦中の物資統制で化学製品の入手が困難になります。染料も化学製品のひとつですから入手はおのずと困難になることが考えられます。終戦を迎えても日本は敗戦しましたから物資不足は戦時中以上の状態になります。

ならば、物資供給が回復すれば染料も入手しやすくなるから黄色のこけしが復活するのではないか、と思うのですがそうはなりませんでした。どうしてだろうか…と疑問が出てきます。

ここでとある法規が目にとまりました。日本国憲法下で定められた食品衛生法(1947年制定)の具体的な施行をまとめた厚生省令食品衛生法施行規則(1948年施行)です。これらの法規は戦前の「有害性着色料取締規則」と同様、乳幼児用玩具に対しても適用されました。

この施行規則から除外された食用色素があります。それが黄色の色素、オーラミンです。

オーラミンは発色が鮮やかでしかも安価なため、服飾品の染色や食品の着色など幅広く使われていました。特に漬物のたくあんではその見栄えのよさからオーラミンを使った着色がポピュラーでした。

ところがオーラミンには強い毒性があることが明治期から指摘されていました。が、当時の法規は「使用してはならない」と明記していなければ使用できることを原則にしており、有害だと分かっていても使用されてきたのが実態でした。
一方、戦後の法規では明確に「使用できるもの」を記載することになり、法規に記載されない食用色素は使えなくなったのです。

法規的に除外されれば食用色素として流通させることはできません。いままで容易に購入できたオーラミンは一転して入手困難になります。

戦中から終戦直後の物資不足と、戦後の法規制から材料が手に入らなくなり、黄色いこけしは姿を消してしまった、と考えることが可能ではないでしょうか。

ちなみに、法規の施行後も「代替品では色が出ない」として在庫品のオーラミンを不正使用していた食品製造業者も一部にありました。消費者団体の「オーラミンたくあん追放運動」が盛んになり、厚生省(当時)が食品工場を一斉摘発して使用を禁止させたのは1953年です。

なお、エオシン(食用タール色素赤色103号)は1971年に除外、マラカイトグリーンもかつてはそら豆の着色に用いたり、熱帯魚の白点病治療剤として粉末状のものが市販されていましたが毒性の高さから入手困難になりました。

現在の使用染料

現在作られている「黄胴のこけし」に使われている染料は「タートラジン」と呼ばれるもので、食用タール色素黄色4号として市販されています。市販の食用色素3色(赤、黄、青)を組み合わせることで緑色と紫色を出すことができます。

以下はいわゆる伝統こけしの工房で現在使われている染料ですが、近年のこけしは乳幼児の玩具というよりも観賞用の人形として認識されていることから、使用する染料も食用色素に限定されず、衣料品用の染料も使用されています。また、創作こけしにおいては顔料やポスターカラーを用いて彩色することもあります。

染料名備考
赤色ニューコクシン、アマランス
黄色タートラジン
緑色ブリリアントブルーとタートラジンの混合
紫色ブリリアントブルーとニューコクシンの混合、アシッドバイオレット

参考

→「着色料規制法令の変遷とその考察(第2報) 食品衛生法施行から現在まで」(PDF)
→「我国における着色料取締りの歴史 : 歴史的経緯からみた着色料の存在意義
→「ミニ染色講座(8)合成染料物語」(名阪カラーワーク研究会,1999)