※この敷地・家屋は現在もご親族によって管理されております。
ある初夏の日、鳴子温泉中心街の南側にある沼井に出かけました。
ここには伊藤松一工人(1924-2019)の工房跡がありました。
この場所を初めて訪れた身にとっては、シダの葉に寄りかかる「伝統こけし製造販売・伊藤こけし工房」のトタン看板だけが「かつてこの場所でこけしを作っていた」ことを伝えるものだと思っていました。
松一工人は終戦後、父・伊藤松三郎工人とともに沼井の開墾を始め、昭和22年ごろからこけしの製作を始めています。あわせて燃料店「伊藤プロパン」を経営しプロパンガスを供給することで、家にかまどがあることが主流だった鳴子地区の住宅設備環境の改善に貢献しました。
また、鳴子町物産協会(現・鳴子温泉物産協会)の会長職、鳴子町観光協会の理事などの要職に就き、地域の世話役として働き続けました。
新緑に囲まれた工房。
夏場は瑞々しい緑でも、長い冬は雪と強風と闘う日々。
1960年代頃、沼井集落に住む小中学生は冬場の通学にスキーを履いて山を降りていました。
下校のときは2時間近くかけて山を登っていったそうです。
現在は居住していないため、雪囲いが残されています。
工房から北方向に目を向けると、入沢集落にある分譲リゾートマンション「鳴子サンハイツ」を望みます。潟沼南側の沼井集落と入沢集落の一部は別荘地として開発されました。
鮮やかなヤマツツジ。
主(あるじ)なきいまも夏の訪れを花は伝えています。
松一工人がこけし製作を始めたのは1965年頃と言われています。上の画像は1971年に製作された作品。