Kokeshi Second Angle,こけし道中,鳴子系伊藤松一,金太郎系列

鳴子温泉沼井にて-1 2023.6

※この敷地・家屋は現在もご親族によって管理されております。

ある初夏の日、鳴子温泉中心街の南側にある沼井に出かけました。
ここには伊藤松一工人(1924-2019)の工房跡がありました。

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この場所を初めて訪れた身にとっては、シダの葉に寄りかかる「伝統こけし製造販売・伊藤こけし工房」のトタン看板だけが「かつてこの場所でこけしを作っていた」ことを伝えるものだと思っていました。

松一工人は終戦後、父・伊藤松三郎工人とともに沼井の開墾を始め、昭和22年ごろからこけしの製作を始めています。あわせて燃料店「伊藤プロパン」を経営しプロパンガスを供給することで、家にかまどがあることが主流だった鳴子地区の住宅設備環境の改善に貢献しました。

また、鳴子町物産協会(現・鳴子温泉物産協会)の会長職、鳴子町観光協会の理事などの要職に就き、地域の世話役として働き続けました。

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新緑に囲まれた工房。
夏場は瑞々しい緑でも、長い冬は雪と強風と闘う日々。
1960年代頃、沼井集落に住む小中学生は冬場の通学にスキーを履いて山を降りていました。
下校のときは2時間近くかけて山を登っていったそうです。

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現在は居住していないため、雪囲いが残されています。

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工房から北方向に目を向けると、入沢集落にある分譲リゾートマンション「鳴子サンハイツ」を望みます。潟沼南側の沼井集落と入沢集落の一部は別荘地として開発されました。

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鮮やかなヤマツツジ。
主(あるじ)なきいまも夏の訪れを花は伝えています。

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鳴子温泉沼井・伊藤松一工人作、1971.

松一工人がこけし製作を始めたのは1965年頃と言われています。上の画像は1971年に製作された作品。

Kokeshi Second Angle,鳴子系岸正規,金太郎系列

鳴子_正規_正男型1ネットオークションで「作者不明」とありましたが、出品写真をよく見れば鳴子温泉湯元の 岸正規 工人作と分かり落札しました。

底面には

「頭一ツ葉 胴みず木 正男型 岸正規」

と書かれています。なにかの暗号かと思いますが、ここに作品の基本データがすべて書いてあります。

この作品、頭部と胴部で材料が異なっています。
胴部はこけしの材料として広く使われている「ミズキ」、頭部は「一ツ葉」という材料を使っています。ネットで「ヒトツバ」と検索すると真っ先に出てきたのが「ヒトツバタゴ」。
最初、私は「珍しい材料を使っているなぁ」と思ってInstagramの説明欄に滔々(とうとう)と「ヒトツバタゴ」について書いてしまいました。

少し経って疑問が出てきました。
「あれ? ヒトツバタゴは熱帯圏の木なのになぜ鳴子で取れるの…?」
まさか鳴子熱帯植物園で採取するわけはないでしょう。
とんだ早とちりでした。

それでは「ヒトツバカエデ」ではないだろうか? と思ってみたものの、目の前のこけしと木材の見本写真で木目が違います。さて一体…?

 

こけしに使われる材料の名前を調べていて、「植物図鑑に載っている『和名』」と「その地域で呼ばれている『方言名』」に違いがあることに気づきました。
現物と木材の見本写真を照らし合わせて、ここでいう「一ツ葉」とは「アオハダ」のことではないかと思われます。

ちなみに東北地方で「ヒトツバ(もしくはヒトツパ)」の名で呼ばれている樹木には

アオハダ(モチノキ科)
ヒトツバカエデ(カエデ科)
ウラジロノキ(バラ科)
ハクウンボク(エゴノキ科)

などがあります。
判断が難しいと感じたのは「アオハダ」も「ハクウンボク」も「ヒトツバ」と呼ばれるところ。『こけしの旅(土橋・1983, p65-66)』では「ハクウンボク」を「ヒトツバ」、「アオハダ」を「ビヤベラ、またはベラベラ」と区別し、木肌は似ているが葉も花もまったく異なると説明しています。

 

鳴子_正規_正男型2この正規工人作は父親であり師匠である岸正男工人の型を継承しています。
頭のてっぺんがフラットになっているのが大きな特徴です。製作年は1991年頃と推定。

アオハダの細やかな肌がiPhoneの写真で捉えられているかちょっと厳しいところですが、感じは伝わってくるかと思います。まるで免許証の写真のような画像になってしまい恐縮です。

頭部にじっと寄ってみると木肌のきめ細かさと滑らかさがあり、蝋引きをしなくても光沢のある、とてもきれいな肌をしています。アオハダが頭部だけに使われたのは、胴部よりも緻密な加工を必要とするために硬い材質が適していたという理由のほかに、木地の漂白や蝋引きをせず「白くつややかな美肌感」が表現できる材料だったからではないでしょうか。

「こけしの微笑」で高橋武男工人の談に

こけしの素材はヒトツパが良いと思いますが、鳴子では多く頭の方に使って胴には使わないようです。
(「こけしの微笑」・深沢要・羨こけし P76)

とあります。
現在では頭部も胴部も同じ材料を使うのがほとんどですが、戦前には異なる材料を使う場合があったことが読み取れます。

【参考サイト】
川沿いにある元気な木工屋さんの『木地録』 2014年05月27日 今日の木地(アオハダ)