Kokeshi Second Angle,こけしのドラマトゥルギー,遠刈田系小林善作,湯田こけし,肘折系

「帰りにオセン寄っていこうね」
湯田 小林善作 1966
先日、近所の小学校の前を通りかかったら、似たもの親子が楽しそうに下校していくのを見かけました。
小林善作 さんの2本を並べていたらふとそのことを思い出しました。

(左より 湯田・善作/年代不明、同/1966)

Kokeshi Second Angle,こけし道中,遠刈田系小林定雄,湯田こけし,肘折系

盛岡を昼過ぎの東北本線で発ち、横揺れの激しい電車で向かうは北上へ。
北上からは北上線に乗り換える。一日に6本近くと列車の本数が非常に少ないので、よく時間を調べてから出かける必要がある。

北上線の下り列車は1両編成。奥羽山脈を横断するためずっと登り坂。車両の床下からディーゼルエンジンの加速音がいつまでも唸り続け、一生懸命に坂を登っているのが耳からも感じ取ることができる。

車窓は一面新緑で見ていて飽きることはない。
いくつも続くトンネルをくぐり抜けると錦秋湖が見え、湖面に新緑が映し出される美しい光景に出会える。

錦秋湖鉄橋を渡るキハ100の車内赤色の錦秋湖鉄橋を渡れば目的地はまもなく。

ほっとゆだ駅舎北上から約50分でほっとゆだに到着。
駅舎内に温泉浴場があることで全国的に知られている駅だ。
列車の到着にあわせて発車する岩手県交通バスに乗り換え、湯本温泉へ向かう。

湯田湯本温泉ゲート駅から約15分、「湯本温泉」停留所でバスを降り立つ。
湯本温泉もかつては相当な賑いを見せたが、現在となってはシャッターの目立つ温泉街となってしまった。
今夜お世話になる旅館「大正館」に荷物を置かせてもらい、バスがきた道を戻るように歩いていく。

小林定雄工人工房湯田の地でただひとり伝統こけし(以下、湯田こけし)を作り続けている小林定雄工人の自宅・工房。屋号はずばり「木地屋」。
温泉街から少し離れていて、路線バスだと「湯本スキー場」停留所が最も近い。

少し緊張しながら玄関をくぐる。
最初にお見えになったのは輝子夫人。
定雄工人は裏の畑でひと仕事していたところで手を止めてくださった。

お茶請けは西わらびのおひたし囲炉裏で定雄工人としばし談話。お茶とともに差し出されたのは地元の名産「西わらび」のおひたし。
おろし生姜を薬味にして、しょう油をひとまわしかけていただく。

ひとくち噛み締めると強い粘りを感じる。「わらびってこんなに粘りがあるのか」と素直に驚く。山菜特有のエグみはなく、香りは素晴らしい。これに近い食感を持つ野菜はなんだろうか…と考えていたところで「初物のグリーンアスパラガス」が思い浮かんだ。

「出回っているのは栽培ものだけど、これは天然物です。味と香りがぜんぜん違います」と定雄工人。
「アク抜きに重曹を使うところが多いけど、うちは本当の『灰汁』を使います。味も色も違います。最近、緑色の重曹が売られているのには驚きました」

話の途中で一台の赤い軽ワゴン車が敷地内にやってきた。郵便局の集配車両が荷物を届けにきたのだ。
「こけし辞典」の記載にもあるとおり、定雄工人はかつて駅近くの川尻郵便局に勤務していた。
勤務当時、3事業(郵便・貯金・保険)のほか電話・電報も取り扱っていて、局舎内に手動の電話交換機があったとのこと。「いろいろやりました」と話す定雄工人は副局長の職まで務めた。
配達にきたベテラン局員は「いまも『もうひとりの上司』です」と話す。

80年代、東北郵政局(当時)で「ふみの日」にちなんで局内に掲示する各地の伝統こけしを題材にしたポスターを制作したことがあり、岩手県版は定雄工人の作品が起用された。ちなみに青森県版は盛秀太郎工人の作品が使われた。

囲炉裏の左縁に見えるのは年賀状の図案。一枚一枚はがきに描くという。
「『印刷したほうが楽じゃないの』と言われるけど、やはり気持ちを伝えたいから」

輝子夫人著作の絵本天然わらびをきっかけに西和賀の気候や生活習慣の話題となる。
定雄工人は棚からさまざまな資料を取り出して話を進めてくださった。

写真の絵本は輝子夫人が執筆された『たくさんのふしぎ 雪がとけたら』、『かたゆき』(いずれも福音館書店刊)。
輝子夫人は県俳句連盟の副会長をつとめるほか、絵本作家としてもご活躍している。この日も
「いまから俳句教室の生徒さんの作品を数百句チェックするの」
と奥の部屋に向かっていった。ちなみに輝子夫人が指導した生徒さんは「俳句甲子園」の岩手県代表に出場し上位成績をおさめたそうだ。
以前はこけしの製作もされていて『伝統こけし最新工人録(カメイ美術館刊)』にその名前が掲載されているが現在は行なっていない。

今回の旅は工人さんを訪問するのが目的であることを伝えると、輝子夫人は
「私もむかし、各地の工人さんのところを訪問していた。汽車に乗って小さな宿に泊まるのがいい。クルマで行くようになったら小回りが利くから何箇所も回れるけれど、すぐ買って帰るようなスケジュールになってしまう。ゆっくり話を聞いて回るのがやはりいいかな」
と話した。今でも思い出深いのは鳴子の高橋武蔵工人と桜井昭二工人だという。

絵本を読むと「いぶりがっこ」や「蕪寿司」を作る様子が描かれている。
モデルになっているのは定雄工人・輝子夫人の自宅。絵の中では定雄工人が「物知りなおじいさん」役で登場する。

西和賀地区は岩手県の西端、秋田県境に位置しており、岩手よりも秋田の生活習慣・文化のほうが強い。横手へは自動車で30分で出られるけれども、北上は険しい山道を越えるという地理的な理由がある。伝統こけしの伝播を研究するとき、当時の交通事情を踏まえながら調べていくとなかなか興味深いものが見えてくるかもしれない。

湯田こけしは遠刈田系の流れを組み、伝播経路や形状等から肘折系(文六系列)と分類されることもある。大正期に小林辻右衛門氏が佐藤丑蔵工人を湯田に招き木地製作の技術を広めたことからこの地が伝統こけしの産地となる。1971年発刊の『NHK新日本紀行〈第4集〉民芸に生きる』(新人物往来社刊)に詳しく書かれている。地元の伝説をモチーフに作られたのが髷付きの「およねこけし」。ちなみに表紙を飾るのは定雄工人だ。

以前は鉱山が近隣にあり、東京の鉱山会社の社員たちが出張でよくきたという。当時は温泉街中心部に店舗を持っていた。
「酔っ払った温泉客が冷やかし半分で店に入ってくるとよくこけしを倒されたもんだ」

現在、湯田地域も他の地域と同じように人口減少が続いているという。
「若い人が出てっちゃうからね…。こけしも私の代で終わりです」

湯田湯本6
「湯本下町」停留所そばにある水場。
盛岡の「大慈清水」に似たひな壇状の水槽になっており、上段は飲用、下段は洗い場として使われたと思われる。

西わらび餅Premium
同じく湯元下町停留所近くの「お菓子処たかはし」。
地元産のわらび粉を100%使用した「西わらび餅 Premium」の心地よい弾力と喉ごしは一度体験してみたい。ご主人は京都にあるわらび餅のお店を食べ歩いて研究したという。冷凍保存ができるが常温の場合の賞味期限は当日限り。

湯田湯本12
ひと晩お世話になった旅館「大正館」。
館内は温泉を利用した床暖房になっている。泉質はナトリウム-硫酸塩・塩化物泉で無色透明。浴後の保温効果が高い。
近隣には飲食店もあり、長期滞在に適している。

スーパーオセン自宅に畑があり自給自足の生活を送る定雄工人が「買い物はいいものが安くてありがたい」と話す近所の超激安スーパー「オセン」。
岩手ローカルのテレビ番組で度々紹介されるスーパーで、岩手在住の知人曰く、店内BGMは軍艦マーチ、「にら8円」といった激安価格の目玉商品を用意して集客効果を高めていて、岩手県内はもちろん、秋田県からも買い物にくるので常に駐車場は満杯だという。
残念ながらこの日は臨時休業で店内の賑わいを体感できなかったが、店舗雄姿をカメラに収める。

山室橋から和賀川を望む湯本温泉北側に架かる山室橋から和賀川渓谷を望む。

湯本温泉神社・薬師神社大正館の裏手にある湯本温泉神社と薬師神社。
鳥居がふたつあり、手前には「温泉神社」、奥には「薬師神社」と書かれている。

湯田こけし灯籠神社へ向かう階段の両側に見える灯籠。
湯田こけしをモチーフにしたデザインになっており、頭部の髷、胴のロクロ模様や重ね菊が表現されている。

※今回は北上経由で列車を利用したが、盛岡バスセンター・盛岡駅から「ほっとゆだ駅行」の岩手県交通バス(山伏線)に乗れば、乗り換えなしで3時間ほどでアクセスすることができる。上下平日3本ずつの運行(休日は1本ずつ)*。補助金が出ているため運賃は片道1000円ととても安い。盛岡から乗ると繋温泉、鶯宿温泉、沢内を経由して湯田へ向かう。
*追記:2016年4月4日より上下1本ずつの運行に変更された。