郵便屋さんだったこけし工人 〜 渡辺求 工人作より〜
渡辺求工人(1898-1968)の1964年(昭和39年)作。
かの岡本太郎氏が生前収集した民芸品にはこけしも数本含まれていますが、うち1本は求工人の作品です。
(参考→岡本太郎美術館 事業レポート 平成16年度企画展)
半月状の眼と首周りのいわゆる「タートルネック」が特徴です。
胴に描かれた重ね菊の雄蕊(おしべ)をじっと眺めていると二羽の羽を広げた鳥がいるように感じます。
画像の作品は鼻のかたちが円弧状の「猫鼻」です。
戦前作品は三味線の撥(ばち)に似た「撥鼻」で描かれることが多く、製作年代を判断するポイントになっています。
弥治郎系は主に白石市の鎌先温泉周辺で作られますが、こちらは郡山市の磐梯熱海温泉生まれ。浪江出身の求工人は14歳で木地師の世界に入り、弥治郎で佐藤伝内工人を師匠に修行を行ないましたが、こけし製作に関しては伝内工人の父親、佐藤栄治工人から学んでいます。その後、浪江、青根、三厩、飯坂で木地職人として働き、磐梯熱海で独立しました。
ところが磐梯熱海では市場が「思いのほか狭くて」なかなか商売に結びつかず、近所の熱海郵便局で集配外務の仕事をしながら木地業を営んでいました。
(関連資料→ 深澤要「こけしの追求」)
興味を覚えて調べたところ、2016年1月時点で郵便局で勤務する(した)こけし工人は4人いらっしゃることが分かりました。地域に密着している事業であること、中途採用やアルバイト採用があること、季節を通して勤務でき、一定の収入と時間を確保できることなどが背景にあると考えられます。
現在も磐梯熱海駅前の「こけし庵」で佐藤正(1929- )工人が求型の後継者として製作を続けています。ちなみに佐藤正工人は国鉄〜JRの保線区に勤務していた経歴を持ち、子供の頃から始まり、仕事の合間にも求工人のもとへ通ってこけしの製造法を教わったそうです。