2026年5月24日開催、東京こけし友の会例会の工人インタビュー(丸山伸一朗工人)の準備に先立ち調査した「仙台駅東口のコマ屋さん」についての覚え書きを掲載します。
この覚え書き作成にあたり、Kokeshi Wiki、「こけし辞典」のほか、「昭和40年の仙台・塩竈地図帖(有限会社イーピー 風の時編集部、2024)」を参照しました。
調べた経緯
土湯の丸山伸一朗工人より以下の話を伺いました。
「小学生時代、仙台市内の小学校でコマ遊びが流行った。仙台駅の東口に『一軒屋(いっけんや)』というコマ屋さんがあり、作ってほしいコマを職人さんに注文すると、目の前でろくろを回してまたたく間にコマを作ってくれた。このコマ屋さんは少年期の原風景だった」
この話に強い興味を持ちネットで検索したところ、コマ屋さんの思い出を書き込む掲示板やSNS投稿が多く見つけられまました。さらに文献等で調べると、コマ屋さんのほとんどはこけし工人であることがわかります。
場所
「一軒屋」は東七番丁126番地。現在の宮城野区榴岡1-7-5(ルピナス仙台東口ビル)付近にありました。
仙台駅東口、東七番丁から東八番丁に至るところにあったとのSNS投稿と、下記投稿の写真と地図帖から判断しました。
「一軒屋」のほか、「二軒屋」、「三軒屋」もありました。この名称は正式な屋号ではなく、「1軒目のコマ屋さん」を示す通称として用いられていました。一軒屋の正式な屋号は「佐藤木工所」です。
少年時代、あこがれだった駅ウラのこま屋を知ってる方が意外にも多く、さらに同級生だった、友達だったという方が多いのはさらに驚きです。
みんないろんなコマ屋エピソードを持っていそうですねぇ😄 #仙台#駅ウラ#こま屋#一軒こま屋pic.twitter.com/OgQ2whcO41— 風の時編集部/佐藤正実 (@kazenotoki) October 9, 2025
販売形態・商品
注文を受けたその場でろくろを回して製作していました。既製品だけでなくカスタマイズにも対応し、自分だけのコマを手に入れることができました。製作していたコマの種類は以下のとおりです。
基本形はUFO・アポロ・茶碗台形・そろばん台形・喧嘩せんべいの5種。アポロ、茶碗、そろばん、せんべいはいずれもコマの形状をイメージしたネーミングです。これらを2段、5段に重ねたり組み合わせることで、ウルトラせんべい二段茶碗のようなカスタマイズ形にも対応していました。
購入した子どもたちは、ラッカースプレーで彩色したり、塩水に浸して木地を締めて強度を増すといった改造を加え、「自分だけの強いコマ」をつくり上げていました。
関連する工人たち
コマは木製品であり、ろくろを使って製作します。この技術の担い手は木地師であり、こけし工人も同じ技術を持っています。「Kokeshi Wiki」や「こけし辞典」をもとに作成した師弟関係図を以下に示します。
仙台市東七番丁127番地には佐藤木工所(佐藤賢治系)と大賀工房(大賀貞治)が別棟で存在し、昭和37〜45年頃に我妻吉助・広井道顕・佐藤正廣・今野幹夫・小笠原義雄・大賀敏明らが同地で就労していました。今野幹夫は佐藤正廣の勧めで向かいの東七番丁70番地に独立・開業しています。図の師弟関係はKokeshi Wiki各工人項目に基づきます。
仙台駅東口のこけし工人たち
※以下の記述は敬称略としておりますのでご了承ください。
① 佐藤賢治系(仙台在来の木地師家系)
賢治は仙台最古の木地師家系の出身で、幸治は直系の弟子。幸治は昭和29年(1954年)8月に仙台市東七番丁で独立して木地業を始め、その長男賢一は賢治(祖父)と我妻吉助の双方から指導を受けました。賢治(東五番丁出身)→幸治→賢一という三代の系譜が東七番丁の佐藤木工所の核をなします。
② 我妻吉助系(遠刈田から仙台へ)
我妻吉助は昭和26年(1951年)6月より仙台市東七番丁で独立したのちに「みちのく工芸」を設立し、会員を募りこけしを頒布する「みちのくこけし会」を運営しましたが、昭和37年(1962年)頃に倒産しました。その後は東七番丁の大賀貞治工房に間借りして木地業を続けています。佐藤正廣は昭和30年に吉助のもとで修業を始め、みちのく工芸倒産後は東八番丁の借家で独立しました。広井道顕は昭和26〜27年頃から我妻吉助に就き、従来型こけしを作るようになりました。
③ 佐藤好秋系(遠刈田経由の兄弟弟子群)
今野幹夫は昭和23年より遠刈田の佐藤好秋に師事し、兄弟弟子は大宮正男と小室由一(佐藤由一)です。小室由一も佐藤好秋に師事し、その後仙台の東八番丁の木工所で働き、広井道顕の木地を挽いたこともあります。
今野・小室は好秋の門下として遠刈田から仙台に流入したグループです。
④ 大賀貞治工房の役割
大賀敏明は東七番丁126番地で生まれ、父大賀貞治と我妻吉助の双方に師事しました。大賀貞治工房は吉助のみちのく工芸倒産後の受け皿となり、吉助・今野・正廣・賢一・広井らが同じ場所で働く結節点となりました。
⑤ 小笠原義雄の位置づけ
小笠原義雄は朝倉英次に師事し、その後仙台市東八番丁の木工所に移って我妻吉助・広井道顕・今野幹夫・佐藤賢一・佐藤正廣らと同じ工場で働いていました。公式の師匠は朝倉英次ですが、「東七番丁グループ」との同僚関係が実質的な技術的交流の場となりました。
16.07 カメラリポート ~巣鴨とげぬき地蔵尊・遠刈田系伝統こけし展示販売・実演~の記事で紹介しているのは、仙台市内を拠点にするこけし工人の作品です。