Kokeshi Second Angle,鳴子系高橋宣直

流し目で微笑されたらたまりません。
鳴子温泉古戸前・高橋宣直工人の作品です。前回記事は下記をご参照ください。

紅葉の描きかたは見る人の想像力を膨らませてくれます。
緑の葉が赤く染まり始めて、風に揺れる姿…10月末から11月初旬、紅葉シーズンが待ち遠しいと思える頃の風景と感じました。

以前、胴模様に紅葉を描いた高橋正吾工人作を見たことがあります。
緑の葉が舞い落ちるように逆さに一葉描かれていました。枝に緑の葉が残る様子を描くこの作品と対比してみると、僅かばかりの時の差を読み取ることができます。
木地は描彩にあわせてイタヤカエデを用いています。

4、5枚目の画像はパート1で紹介した作品との比較です。

Kokeshi Second Angle,鳴子系利右衛門系列,子野日幸助

鳴子から80キロ近く離れた横手で製作された子野日幸助工人作。木地がイタヤカエデ、面描から作者が推定されます。大胆な胴模様とちまちまとした眼点や鼻に魅力を感じます。

昭和20年代前半の鳴子こけしは他の時代と大きく異なる特徴があります。

  1. 高い肩
  2. 丸みの強い頭部
  3. 湾曲の強い瞼と大きい眼点
  4. 染料ではなくポスターカラーによる描彩
  5. 模様は菱菊

いわゆる「鳴子共通型」と呼ばれるものです。「こけし辞典」を読むと需要増大で分業生産を行なうため、製造プロセスを規格化したことが背景にあるそうです。特に3.〜5. は特に生産数の多かった湯元地区で製作された作品によく見られます。

1950年代の鳴子温泉湯元・湯の街通り 新旅行案内2 東北、日本交通公社、1957.

上写真は観光ガイドブックに掲載された、1950年代の鳴子温泉・湯元界隈の風景です。
老舗高亀から滝の湯方向を撮影したものと思われますが、ここに写っているこけしを見ると当時製作されていた形状がわかるかと思います。

戦前からこけし作りに携わっていた幸助工人にとって、終戦後の需要増大で急激に表情の変わった鳴子こけしをどのように見ていたのでしょうか。

Kokeshi Wikiの記述によると幸助工人は1946年に戦地から戻り1947年に一度転業していますが、さてこの作品、わずか1年の間に作られたものなのでしょうか。ヤフオクに同時期の作品が出品されたので複数製作されていたことは確かです。