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東京巣鴨_地蔵通商店街

7月1日より5日まで東京巣鴨のとげぬき地蔵尊(高岩寺)で開催された「第9回東北復興支援・遠刈田系伝統こけし展示販売・実演」に出かけてまいりました。

今回は仙台近郊に在住の工人が東京に集まりました。ちなみに秋開催の実演会は遠刈田周辺に在住の工人をお招きするとのことです。

私が出かけた際には、小笠原義雄工人、佐藤正廣工人、早坂政広工人の3工人がロクロ挽きや描彩の技を披露されていました。お話をお伺いしたところ「白蝋とカルナバ蝋による艶の違い」、「使っている染料の変化」、「写しや復元で考える原作者の心境」といった技法に関することから、先月オープンした仙台駅ビル「S-PAL」の話題に至るまでとても興味深く聞かせていただきました。

東京巣鴨_高岩寺_遠刈田こけし灯籠信徒会館入口でお迎えする森勇一さん(黒石市)製作のこけし灯籠。
各工人の作風をみごとに捉えていて毎回感心します。

遠刈田_早坂政広工人作潤いのある眼で来場者をお迎えする早坂政弘工人の作品。
早坂工人は青葉区芋沢に工房を持ち、青葉城の本丸会館で実演販売を行なっていますが東京での実演は初めて。伝統こけしだけでなく木地玩具のレパートリーも多く、今後のご活躍が注目されます。

遠刈田_佐藤正廣工人作
左のふてくされた感じの子が気になりますね…。
佐藤正廣工人作、磯谷直行型三様。

磯谷直行工人は1900年の生まれで福島の中ノ沢で木地業を営んでいましたが、崖から転落し33歳の若さでこの世を去りました。
正廣工人が直行型を手がけたのは、古生物学者でありこけし研究に大きな功績を残した鹿間時夫氏が復元を依頼したのが始まり。原作者がどんな心境で作ったのかイメージすることが大事だそうですが、若くしてこの世を去り、詳しい人物像について知る人がいない状況で原作品だけをたよりに復元を進めていくのはとてもむずかしい仕事です。

正廣工人のもとに復元を依頼されることは結構あるそうで、原作品と寸分違わず作ることを重視する向きもあるけれども、復元する人が原作品に対して何を感じ、思い、考えて作ったかが現れているところが復元作品の愉しみ方だと理解しました。

遠刈田_小笠原義雄工人作端正な顔立ちと衣装の質感がたまらない小笠原義雄工人作。
ビビリ(ザラ挽き)の幅を変えることで変化のある幾何学模様を作り出す技巧派作品。
目で眺めるだけでなく、手に持ったときの感触も愉しめる作品です。

遠刈田_小笠原義雄工人作義雄工人の変わりこけしといえばこのせつなそうな顔。
遠刈田_巣鴨実演_2016

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花巻は古くからの湯治場として知られるとともに、こけしの主要産地としてもその名を馳せていました。南部系こけしを「花巻系」と呼んでいた時期もありました。

花巻_台温泉初夏の台温泉にて。
台温泉は通り沿いに小規模な旅館が立ち並び、湯治場の雰囲気を色濃く残しています。
明治初期から湯治客の土産物としてこけしが売られていたそうですが、最初に作り始めた工人が誰だったのか、文献に記載されてはいるものの地元出身の鎌田千代吉工人がどのようなこけしを作っていたのか、現在でもはっきりと解明できていません。

台温泉_福寿館
明治後期には旅館業と木地製造業を営んでいた福寿館(上写真)の女将が高橋寅蔵工人を招いたり、小松五平工人が寅蔵工人の仕事を手伝ったり、大正初期に鈴木傭吉工人が木地業を営んでいたりと鳴子方面との関わりが強いのが特徴です(→辞典・P363他を参照)。

すでに廃絶産地となってしまいましたが、文献を読みながら温泉街を散策してみると遠い昔へのイマジネーションが膨らんできます。

花巻_佐藤こけし店跡3さて本題。
前日に路線バスで花巻駅から台温泉へ向かっていたところで車窓を横切ったこの風景。

車窓からは数秒で過ぎ去っていきましたが「こけし 製造 販売」という文字は私の脳裏にしっかり焼きつきました。このまま見過ごすわけにはいかず、翌日、花巻駅へ向かう帰路のバスを途中下車しました。

花巻_中屋敷停留所場所は花巻市内湯本。花巻温泉からバスで数分の「中屋敷」停留所が最寄りです。

花巻_佐藤こけし店跡2写真左が花巻温泉方面、右が花巻駅方面です。

ご覧のとおり、店舗は空き家です。何年前まで営業していたのでしょうか。

道路沿いにあるこうした店舗は土産物店専業であることが多く、商品の販売だけを行なって実際の製造は別の場所で行なっていたりするのですが、建物の構造を見ると製造もここで行なっていたことが分かります。

花巻_佐藤こけし店跡1まるで古いこけしのように色が飛んでしまった看板。

花巻_佐藤こけし店跡5店舗入口のアルミサッシから店舗内を覗いてみます。
2畳ほどの販売スペースには商品展示用の棚が残されています。
この棚にさまざまな大きさのこけしが並んでいたのでしょう。

花巻_佐藤こけし店跡4販売スペース左側は作業場。
この換気扇はろくろを挽いたときに出る木の粉塵を屋外に逃がすもの。
観光客が往来する通りに面したこの場所で製作をしていたのでしょうか。
空き物件になり不動産屋さんの看板が掲げられています。

 

この建物の元持ち主は?
調べてみたところ、独立系の佐藤長雄工人であることが分かりました。
長雄工人は1926年(大正15年)生まれ。戦後まもない1947年に白石で遠刈田系の佐藤寅吉工人に弟子入りし(※)、1959年から花巻に居住。市内の民芸品製造所(幸工芸社、花巻物産)勤務を経て1965年に独立、1975年に現在の店舗が建てられました。
さらに1980年には平泉在住だった鳴子系の大沼俊春工人の指導を受け、1985年から俊春型を製作したと言われています。
(※ 佐藤佐吉工人に師事したと記述する文献もあり。ちなみに寅吉・佐吉両工人ともに師匠は佐藤茂吉工人)

ちなみに長雄工人のお弟子さんは同じく独立系の斎藤斉工人。
斉工人の創作こけしは宮沢賢治の著作や花巻の郷土芸能にちなんだ絵柄を胴部分に描いてあり「花巻 ひと志」と署名されています。

花巻_長雄_1997旅から帰ったのちに入手した長雄工人の作品。底面には「9.11.15 丸栄実演」の表記があり、1997年に名古屋の丸栄百貨店で開催された岩手県物産展で販売されたものと思われます。製作時の年齢は71歳。

材料にアオハダを使用し、キナキナの技法を用いて首元がクラクラと動く南部系の要素が盛り込まれているユニークな作品です。大胆な筆使いの、ずいぶんとこってりした甚四郎型という印象。

下記関連ページにも作品例が紹介されており、遠刈田系のフォルムに椿の花を描いた「椿こけし」が代表作とのこと。

鳴子温泉_俳句投稿用紙両工人の作品が意外なところにありました。
鳴子温泉では「奥の細道」にちなんで観光客からの俳句投稿を募っており、観光スポットに俳句投稿箱が設置されています。
投句用紙に描かれているのは長雄工人の「椿こけし」と斉工人の創作こけし。

Google Street Viewに表示された佐藤こけし店。
収録は2013年8月。この時点では営業状態、少なくとも居住状態であったことが店舗入口の宅配便取扱所の看板や店内の棚に並ぶ作品から伺うことができます。

あと3年訪れるのが早かったら…
「かつてここに工人がいた」という場所がまた増えていくんだろうなと思うと寂しくなります。

〜関連ページ〜
花巻観光協会
伝統工芸体験
岩手県観光ポータルサイト「いわての旅」
遠刈田系こけし