Kokeshi Second Angle,土湯系えじこ,中ノ沢こけし,荒川洋一

こけし_中ノ沢_荒川洋一工人作、2020-1
会津若松・荒川洋一工人作、2020-1.

またたく群星の中を走り抜ける長い列車を見て童話に出てくる銀河鉄道を思い出すかもしれません。

私はこの描彩を見たとき、かつて東北本線や磐越西線を走っていた「機関車に牽かれた赤い客車列車」を思い出しました。
その風貌から「レッドトレイン」と呼ばれた車両の活躍した期間はそれほど長くはなく1984年頃から1995年のわずか10年ほどでしたが、個人的にはとても印象に残っています。

私がひとり旅を始めるようになった学生時代はすでに東北新幹線が東京に直通する少し前でした。それでも上野からの夜行列車もまだまだ残っていて、東北地方を旅するというのは「とても遠い場所に行く」という感覚がまだ残っていた頃でもあります。

加えて、財布の薄い身にとっては普通列車を乗り継いでいく貧乏旅行でした。郡山や一ノ関でこの「赤い客車」を目にすると旅の疲れとともに「遠くへきたなぁ」という感慨がより深くなるものでした。

このえじこは最近の製作ですが、茶席で茶碗を回すがごとく掌で転がしながら眺めているとふと昔の東北旅行を思い出すのです。
創作的な絵柄の中にも土地の香りが伝わってくる、素敵な作品だと思います。

こけし_中ノ沢_荒川洋一工人作、2020-2
会津若松・荒川洋一工人作、2020-2.

こちらは太陽に反射して輝く水面の下を泳ぐ川魚を連想するでしょうか。
ふたを回して星空模様の場所を変えてあげると、いろいろな絵が作れて想像力が湧いてきます。

こけし_中ノ沢_荒川洋一工人作、2020-3
会津若松・荒川洋一工人作、2020-3.

暖かな日差しの中を舞う蝶と読み取れるし、もし月夜だとしたらさらに幻想的ですね。
見る者にさまざまな想像力を巡らせる描彩だと思います。

こけし_中ノ沢_荒川洋一工人作、2020-4
会津若松・荒川洋一工人作、2020-4.

写真を拡大し過ぎて少しピントがぼやけております。
このえじこは肩の部分が高く作られていて、ひょっこり首を出したようなユーモラスさがあります。

こけし_中ノ沢_荒川洋一工人作、2020-5
会津若松・荒川洋一工人作、2020-5.

ふた(頭部)を取ると深くくり抜かれた容器が。
くり抜かれた内部を目を閉じて指先を回しながら触れていると、異世界というか「いま、ここ」ではない空間に踏み入れた感じがしてきます。

こけし_中ノ沢_荒川洋一工人作、1982
会津若松・荒川洋一工人作、1982.

Kokeshi Second Angle,遠刈田系佐藤英太郎

こけし_遠刈田_佐藤英太郎工人作、1970年頃-1.
新地・佐藤英太郎工人作、1970年頃-1.

近年は要領の良さや効率の良さに重きが置かれたり、中身がないのに言った気になっているキャッチコピーのような空虚なフレーズがもてはやされたり、その反対に本人が到底理解しているとは思えないボキャブラリーをいたずらに羅列することで他者を圧倒させ、自分の立ち位置を保とうとする政治家や財界人や自称評論家がテレビ画面やパソコンのモニターだけでなく、手元のスマートフォンや巷間にも見かけるにつれ肉体的だけでなく心身的な疲労も感じるわけです。

そこで手にしたのがこのこけし。

聡明な感じのする高等女学生(旧制)、といった面持ちがします。
この「聡明」ということば、近ごろ聞かなくなりましたね。

「利口」や「賢い」も同じく頭の良さを意味していることばなのですが、抜かりなく要領がいいさま、口が巧いといった面が強調されてしまいます。聡明の意味するところには小手先ではなく、生きている間に積み重ねられた所作や筋道、品性の高さが含まれていると考えます。

もう少し表情を眺めてみます。
眼に輝きを感じます。二筆で眼点を描いているとそう感じるのでしょう。
英太郎工人作には上唇と下唇をつなげて描くものが多いですが、離れて描かれていると引き締まった印象がします。この眼と唇の面描に好奇心の旺盛さと品性の高さを感じることができます。

眺めていると不思議と元気が湧いてくる、見つめていると希望を感じる、そういうこけしに出会えるととても嬉しいです。

こけし_遠刈田_佐藤英太郎工人作、1970年頃-4
新地・佐藤英太郎工人作、1970年頃-4.

余談ながら底面には「三代目直助 英太郎」の署名があります。
このこけしを譲っていただいた方によれば、英太郎工人が1969年頃に遠刈田新地へ戻り製作を復活した頃の作品とのこと。


次の画像はお遊びですのでお好きな方だけごらんください。

こけし_遠刈田_佐藤英太郎工人作、左1982年、右1970年頃
新地・佐藤英太郎工人作、左1982年、右1970年頃.