Kokeshi Second Angle,仮説だらけのこけし研究レポート,弥治郎系吉野稔弘,新山実

この記事は2015年に「現代風景通信Blog」に投稿したものを、デジタルリマスターのうえ再構成してお伝えするものです。

私が伝統こけしへの興味をより強くしたのは、2014年に出かけた巣鴨とげぬき地蔵尊(高岩寺)での「伝統こけし製作実演」でした。分野が違えどモノ作りの現場にいた過去のある私にとって、伝統こけし職人(工人と呼んでいます)が原木から作品に変えていく過程に強く惹かれるものがあり、何時間も見ていたことを思い出しました。
さらに会場にいらした「東京こけし友の会」幹事の方々から伝統こけしの見どころ、魅力についてお話を聞けたことも大きな収穫でした。

その「伝統こけし製作実演」が本年も開催されるとのことで、ちょうど仕事の休みと重なった7月2日の初日に足を運ぶことができました。

会場風景

今回で7回目を迎える製作実演は弥治郎系。
白石市の鎌先温泉近くにある弥治郎地域を中心に作られている伝統こけしで、頭頂部分のカラフルなろくろ線(通称ベレー帽)や前髪部分に描かれた半円状の房飾り、バリエーションのある胴形状といった特徴があります。色彩がとてもポップな印象があり、かの米国デザイナーのイームズ邸に飾られた伝統こけしのうち一本はこの弥治郎系の鎌田文市工人作品であったことは広く知られています。
(ちなみにもう一本は鳴子系の後藤善松工人作品とのこと)

会場では3人の工人による製作実演のほか、作品や物産の販売が行なわれております。
数多くのこけしたちが一堂に整列しておりますが、一本一本表情が異なります。お気に入りの作品を見つけるために思わず目を凝らしてしまいます。

木地を挽く吉野稔弘工人-1

今回はじめて他県での、しかも東京での実演という吉野稔弘工人。
ろくろの仕組み、カンナの刃先形状についていろいろお話を聞かせていただきました。

稔弘工人は1981年生まれの若手工人。以前はさまざまな仕事を経験しており、ふとしたきっかけからこの世界に入ったとか。私も複数の転職をしているため新しい仕事を覚えることの大変さ、今までと違う世界を知る楽しさは共感するところがあるなと感じました。

木地を挽く吉野稔弘工人-2

伝統こけしの世界も後継者が少なく、貴重な技術と作品の系譜が途切れる危機に面しています。
一方、仕事の選択肢として伝統こけし製作をはじめとする木地業を志す若い人たちも少しずつ出てきているという明るいニュースもあります。

稔弘工人は技術の向上と先代の型式研究にとても熱心で、伝統こけしの魅力を伝えるためネットなどでの情報発信も積極的に行なっています。今後も応援していきたい工人さんです。

描彩中の新山実工人

新山実工人の作品を以前から入手したいと考えていましたが、ついにその機会がやってまいりました。

細い面相筆で描かれた面描は奥ゆかしさが感じられます。カラフルな胴模様で部屋に置くとずいぶんと雰囲気が明るくなります。先代の栄五郎工人の型を継承しながらも、淡い頬紅(チーク)でメイクするなど現代のトレンドを採り入れています。ちなみにこのチーク、非油性の特注品だとか。

すがもんといっしょに

とげぬき地蔵通り商店街の公式キャラクター「すがもん」と記念撮影する新山真由美工人。
全国各地の伝統こけし関連イベントに招かれ、2012年にはルーブル美術館での製作実演を行なっています。
バイタリティーがあって会場を盛り上げてくれます。面描実演では真剣勝負の眼差しで繊細に筆を運んでいたのが強く印象に残っています。

弥治郎こけしと白石温麺製品

近年のこけし関係物産品の中で秀逸と感じたのがこの「弥治郎こけし✕白石温麺」。
地元白石のきちみ製麺さんの製品で、商品開発に携わった木村敦さんも製作実演会スタッフとして参加されていました。曰く、3寸の小寸こけしを見ていたら白石温麺の束と同じ高さであることに気づき、これをパッケージにしてみようと考えたそうです。

試しにろくろを回してみる木村敦さん この数年後、本当にこけし工人になりました

包装紙のデザイン、持ち運びやすい大きさ、箱を開けたときの楽しみ、保存期間、価格、味覚など、さまざまな考慮があってなるほどなと感じます。余談ながら私は自炊宿に宿泊するときは白石温麺を持っていきます。かさばらず、さらに折れずに持ち運べること、鍋ひとつで調理できること、どんな副菜(おかず)にも合う食材だからです。

かれこれ会場で4時間近く鑑賞、談笑しておりました。
弥治郎系伝統こけしはカラフルでモダンな印象があり若い方にも人気がある系統です。伝統こけしに興味を持たれた方にとっても「入りやすい」と感じるのは、伝統的工法を受け継ぎながらも現代のセンスを積極的に取り入れる「間口の広さ」があるからなのだろうと思います。一方、バリエーションが多彩なため、年代別、工人別、地域別などさまざまな観点から作品を見ていくとこれまた深いのです。またひとつ伝統こけしの魅力を学んだ一日でした。

Kokeshi Second Angle,こけし道中,鳴子系伊藤松一,金太郎系列

鳴子温泉沼井にて-1 2023.6

※この敷地・家屋は現在もご親族によって管理されております。

ある初夏の日、鳴子温泉中心街の南側にある沼井に出かけました。
ここには伊藤松一工人(1924-2019)の工房跡がありました。

鳴子温泉沼井にて-2 2023.6

この場所を初めて訪れた身にとっては、シダの葉に寄りかかる「伝統こけし製造販売・伊藤こけし工房」のトタン看板だけが「かつてこの場所でこけしを作っていた」ことを伝えるものだと思っていました。

松一工人は終戦後、父・伊藤松三郎工人とともに沼井の開墾を始め、昭和22年ごろからこけしの製作を始めています。あわせて燃料店「伊藤プロパン」を経営しプロパンガスを供給することで、家にかまどがあることが主流だった鳴子地区の住宅設備環境の改善に貢献しました。

また、鳴子町物産協会(現・鳴子温泉物産協会)の会長職、鳴子町観光協会の理事などの要職に就き、地域の世話役として働き続けました。

鳴子温泉沼井にて-3 2023.6

新緑に囲まれた工房。
夏場は瑞々しい緑でも、長い冬は雪と強風と闘う日々。
1960年代頃、沼井集落に住む小中学生は冬場の通学にスキーを履いて山を降りていました。
下校のときは2時間近くかけて山を登っていったそうです。

鳴子温泉沼井にて-4 2023.6

現在は居住していないため、雪囲いが残されています。

鳴子温泉沼井にて-5 2023.6

工房から北方向に目を向けると、入沢集落にある分譲リゾートマンション「鳴子サンハイツ」を望みます。潟沼南側の沼井集落と入沢集落の一部は別荘地として開発されました。

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鮮やかなヤマツツジ。
主(あるじ)なきいまも夏の訪れを花は伝えています。

鳴子温泉沼井にて-7 2023.6
鳴子温泉沼井にて-8 2023.6
鳴子温泉沼井・伊藤松一工人作、1971.

松一工人がこけし製作を始めたのは1965年頃と言われています。上の画像は1971年に製作された作品。