Kokeshi Second Angle,遠刈田系こけし本,小笠原義雄

成育した虫によって穴を開けられたこけし

紫外線、地震、湿度…そして虫。

こけしに襲ってくる外敵は結構いますが木の中に入った虫も厄介なもの。卵が孵化して徐々にこけしの体内を食い荒らしていきます。

棚にしまっているこけしを取り出して鑑賞しようかと取り出したところ、棚板におがくずのような粉状の物体があることに気づきました。

底面の穴はピンバイスやろくろの爪ではなく、明らかに虫が開けたもの。「もしや…」と思ったときにはすでに手遅れで、虫はこけしを食い破って外界へ行ったあとなのでした。

平井敏雄著「こけしを食う虫(書肆ひやね、2000)」とえじこ(仙台、小笠原義雄工人作、2019)

東北大学名誉教授の平井敏雄氏(1937-2017)が著した「こけしを食う虫(書肆ひやね、2000)」によれば、こけしに穴を開けた虫の正体は「キクイムシ」で、原木に産みつけられた卵が5年〜10年近い時間をかけて孵化・成長し、やがて外へ出ていくとのこと。

対処法も記載されていますが、直径2〜3ミリの穴を見つけた段階で殺虫剤(DDVP、スミチオンなど)を注入する、5ミリ以上になるとすでに虫が出ていった可能性が高いので穴をパテなどでふさぐ、といった「対症療法」になってしまうといいます。

さらに著名な収集家に話を聞くと、こけしを食品用脱酸素剤と一緒にビニール袋に入れ、数日間密封することで駆除することができるそうです。

こけしに産みつけられた卵がいて、さらにそれが孵化して、成虫になって食い破る、というのは確率的に低く、むしろこうした場面に遭遇するのは貴重な機会と考えたほうがいいのではないかと思いました。もっともお気に入りのこけしに穴が開くのは哀しいものがありますが…


さて、「こけしを食う虫」を読み進めると、「虫」にはいろいろな種類がいることがわかってきます。
それはキクイムシとかシバンムシといった昆虫・甲虫の種類という意味ではなく、「文化を侵食・破壊する存在としての『虫』」です。

平井氏はこうした「虫」に対しても真摯な科学的姿勢でひとつひとつ説明していきます。
当時のこけし界の指導者たちはこのような俗説と闘っていました。

特に米国のプロライフに影響を受けた日本の新興宗教組織が「水子」とその「供養」の概念を持ち出したことを端緒にした1970年代のオカルトブーム前後から涌いてくる、こけしにまつわる事実無根な俗説などもそのひとつです。これらの俗説は興味本位、あるいは意図を持って創作され、マス・メディアを通じて幅広い世代に広まっていきました。根底に地域に対する差別や人権侵害を含み、それらを助長することから放置できない問題です。

「俗説なんて分かりもしないやつが言ってるだけなんだから勝手に言わせておけばいい…」、「いちいち反応したところで大人げない…」これを許すといつかは俗説に侵食されて文化が壊れていきます。
フェイク・ニュースやポスト・トゥルースを例に取るまでもなく、現代においてもそのような危うさがあちこちにあり、進行形で文化が破壊されている状況を私たちは少なからず体験しています。

ちなみに本の右にあるえじこは「虫に食われたえじこ」ではなくて「虫に食われた木で作ったえじこ」です。小笠原義雄工人曰く「虫とのコラボレーション」。

虫とのコラボレーション(仙台、小笠原義雄工人作、2019)

Kokeshi Second Angleこけし本

鳴子温泉案内 附玉造温泉案内, 鳴子温泉組合, 1922.

この「鳴子温泉案内(附玉造温泉案内)」は、1917年に陸羽東線が全通した5年後、鳴子に鉄道がきて7年後の1922年(大正11年)に発行された冊子です。鉄道開通で今後の発展を期待された時代に刊行され、その後現実に全国的に名の知れる温泉地となりました。

かつての鳴子温泉の様子を知る一資料として入手しましたが、中でも巻末の「鳴子特設電話番号早見表」がとても興味深く、現在も営業を続けている店舗施設がよくわかります。たとえば3番が鳴子ホテル、21番が玉子屋本店、48番が遠藤旅館(現・いさぜん旅館)といった具合です。この時代に約70回線が引かれていました。ちなみに仙台市内は1915年で約1374回線です(→仙台市科学館・電話の歴史)。

ちなみにこの冊子には「こけし」ということばは出てきません。「木地玩具」というまだまだ広範な表現になっています。

「漆器は慶安(1648-1652)に始めて文政(1818-1831)に加工し、木地玩具は安政(1855-1860)以来改善進歩し…」

鳴子温泉案内, p57.

とあります。

東北土俗玩具案内, 鉄道省仙台鉄道局編, 1928.

こちらは昭和に入った1928年(昭和3年)に鉄道省仙台鉄道局(現・JR東日本仙台支社)が編纂した「東北土俗玩具案内」です。

鉄道を管轄する機関がなぜ郷土玩具に着目し、紹介したのでしょうか。鉄道を使った旅行喚起に活用できる可能性があったからではないでしょうか。

余談ですが、新年に神社仏閣へ参拝する「初詣」と呼ばれるものは、1880年代(明治中期)に東京の電鉄会社による鉄道利用客の増大をねらった宣伝から広まっていったと言われています(→この辺は平山昇氏の「初詣の社会史」に詳しい)。

「私共はかうした郷土玩具をたづぬる楽しい趣味の旅も、これまでの旅行に加へられねばならぬと考えます」

「東北土俗玩具案内」, はしがき

従来の商談に行く、法事に行く、療養に行く…といった「用事を済ませる」ための旅行ではなく、ひとつのテーマを設定しそのテーマに関連する場所へ行って「用事を見つける」スタイルの旅行を提案するという、現在の観光庁あたりが「××ツーリズム」などと提案しているものにも似た、とても現代的なものです。

「松川達磨」や「鳴子こけし這子」のような「地名+玩具名」という表記もこの書物のあたりから出てまいります。後年に各地で呼び方が異なっていた木地人形を「こけし」という名に統一させる動きはこの延長線上にあるのではないかと思います。玩具の名前を固定させ、前置の地名を変化させることで地域性を強調したわけです。